【妄信とセカイ】
シャマりたいときにシャマれる映画。まず始めに私は本作“好き“です。ただ“好き“な映画ということです。今回は原作ありということがメリット/デメリットをもっていました。
シャマラン映画の“好き“なところは「物語へ妄信する」ことだと思います。自分の使命や物語を自分で果たすことへの強い拘り、これがシャマラン映画のエモーショナルなところで、かつシャマりたい人に届く情緒なのだと思います。今回は終末の“ビジョン“を見たという4人の男女が黙示録の四騎手をなぞらえて登場します。元WWEスーパースターのデイヴ・バウティスタよデカさと繊細さの共存、スクリーンいっぱいに拡がる顔圧の距離感バグり性。役者としての彼の画面支配力は物理/精神ともに文句なし。バウティスタ率いる四騎士の訪問。アジア系の娘に男パパ2人。この家族構成、騎士構成もシャマラン映画特有の「妄信」があり、ビジョンという不確かさを確かだと信じる心の強さ、および使命感がもたらすブレーキの破損も愛おしさがあります。そして明かされるTV画面越しの世界の終末感の積み上げ。そして迎える顛末…
さあ、ここまでシャマラン映画のライド感である「持続する不穏」(with尺感覚のバグったズンドコさ)による「話の通じない妄信者に対する恐怖」(当事者は信じているのでまた別の正義論)は楽しいのですが、シャマラン映画にはあともう一つ重要なピースがあると思います。
【緊張と緩和】
と言う名の“ネタばらし“タイム。
こちらではないでしょうか?
「シックスセンス」
「アンブレイカブル」
「ヴィレッジ」
「ハプニング」
「ヴィジット」
「オールド」
…
彼の映画には
「えっソレ!?」
なネタばらしがあります。
今回はそれがなく妄信したままにラストまで突き進んでしまうので、本作は【ネタばらしのないドッキリ番組】のように思いました。これは原作ありのデメリットだったでしょうか?シャマランが愛おしいところに物語はの妄信によるエモーションはありますが、それゆえ張り詰めた空気感を期待以上でもハズレでも緩和させる彼の「ネタばらし」これがラストチャンスピースとして欲しかったと言うのが“好き“止まりだったのだと思います。