140字プロレス鶴見辰吾ジラ

BLUE GIANTの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

BLUE GIANT(2023年製作の映画)
4.0
【青くてデカい】

映画「BLUE GIANT」見た。
Dramatic Dream。肉体的、骨格的な優位性を“表現“するという行為ならびに“強い“(この場合は抽象的な表現として)が凌駕することにDRAMAとDREAMを我々は見てしまうモノで。表現=気迫の図式をアニメという演技媒体に委ね、音と表情が雄弁かつ堂々と伝える。外連味も人情の内。

JAZZというテーマが映画含め表現と親和性が高い。(特に今現代において)コンテンツとしての終焉がチラつくが、そこに妄信するという行為がコスパ主義の世の中と逆行する心の内に訴えかけてくるし、それが重厚(物語と音楽と夢という構造)的にきっちりとした尺に誠実さを感じる。「舐めてない」である。

アニメという理由で鑑賞対象に入らない層がいるのは仕方ないことだが、邦画の予算と役者技量を踏まえれば、絵と音で演技させることで、作品内のキャラクターがその自由度を増す。CG部分の不気味の谷は超えないが、アニメという絵による外連味、ダイナミズムは作品タイトルの「GIANT」を逃さない。

アニメという理由で鑑賞対象に入らない層がいるのは仕方ないことだが、邦画の予算と役者技量を踏まえれば、絵と音で演技させることで、作品内のキャラクターがその自由度を増す。CG部分の不気味の谷は超えないが、アニメという絵による外連味、ダイナミズムは作品タイトルの「GIANT」を逃さない。

スポーツや勉学の競争世界からはみ出たクリエイター層にはブッ刺さる。妄信すること、懸命であること、自由であることで、優等生を挫くことも可能だと、アイドル、お笑い、プロレスなどの好事家には、想いを本作に背負わせてしまうことだろう。アニメで実写より雄弁という外構造のパンチも効いてる。

※クライマックスの場面。「FIRST SLAMDUNK」でも指摘されていたある人情だが、現実においての合理/効率/論理的な正しさをどうしてと超えなければイケないと思わせる“青い“想いの瞬間性は代替不可能でもあると感じる。この“青さ“がダブルミーニングなのも良い。

※原作未読のため映画レビュー系のポッドキャストなどで補完。原作を買わせるなら正解の編集だと思った。改変部分に関しては、「あれ?ティルダ・ウィンストンいなかったけどな」案件は理解。原作版は全日ファンに優しく、アニメ版はアンチ新日の溜飲が下がる場面がある。