八木

千夜、一夜の八木のレビュー・感想・評価

千夜、一夜(2022年製作の映画)
4.0
 とにかく地味で、中々眠気を誘う映画ではありましたが、行間を読ませる上品な語りと、話の動く後半にかけて面白さが加速しました。二回見たいかと言われればお断りですが、映画館でなければ、おそらく集中して登場人物たちの境遇を考えながら見ることができないと思いましたので、そういった意味で映画館で見る価値のある映画だと思います。
 この映画では、「このようにあるはずだった時間」を過ごせなかった人間がどのように変化するのか、というテーマで作られていると思います。

 主人公のトミコは、夫が失踪して30年、『夫を待つ/探す』という考えを硬直させています。そして最後まで、本当のところは何を考えていたのかわかりません。どう思って夫を待つ選択をしたのか、夫をどのように思っていたのか、現在どういう想定で、どういう解決を想定しているのか、プランが全く提示されません。
 ただそこで立ち止まっている人物として描かれているところに、喪失を経験している最中のナミがトミコの目の前に現れ、トミコとは対照的に動的に自分の人生の駒を進めます。この対比によって、夫の失踪によって硬直を選んでしまい、もう自分では動かせなくなってしまった人間について、『この生き方でいいのだろうか』と、トミコの人生のその後を、言葉少なに、自然に、観客を導いていくつくりになっています。

 単純にこれが正解というのはもちろんなく、生活環境についての少ない情報の中からも、例えばすでに数年の月日を待つことに費やし、本人の中で「もう損切できない」という悔しさや怖さがあるのだろうとも思いますし、夫を待たずに別の男性に移ろうとすることを、何か義理や倫理に引っかかるという考えを持っていたのかもしれないですし。
 とにかく失踪した夫を30年待つ妻というのは、「1年待ってしまった」から地続きで「30年待ってしまった」という途中であり結果でしかないというどうしようもなさに溢れています。
 よって、ナミが前に進むことを表明しとき、そのナミが「軽蔑しますか?」といった時は、あのくらい静かな映画でありシーンの中で、髪が逆立つようなスリルのある展開でしたし、そのぞわっとした緊張はちゃんと観客に伝わってたと思います。
 後半の後半「あたし狂ってるから」とぬるっと発言したり、なるほど狂っていると納得する展開があって、その後トミコの感情が初めて爆発するベッドで独り言を話す後半の展開で、おそらくは初めてトミコの考えの一端に触れ、『単純でないし、どうしようもなかったんだよな』と少し泣いてしまいました(まあ僕の涙は安いので)。
 ナミの夫が失踪した件とかも、すごいリアルなんですよね。ネタバレなので何も書けないが。失踪といわず、自分が今ここにいる状態を、即座に根拠揃えて喋れる人なんていないですよ。

 そしてこの映画はもしかすると「自分はこれをやっているだけでいい、このままでもいいのだ」とある意味成長を捨ててしまった人間にとって、痛いところをえぐってくる映画にもなっていたと思います。だとすれば、説教を感じさせないが、シクっと痛む胸の傷に気づかせる語り口も評価できると思います。
 ということで、感想書いているうちに、あの後半だけでこの映画のこと結構好きになってたことに気づきました。同時に、スカっとしない嫌いな映画という人も沢山いると思います。
 完全に好みの問題で、トミコに関するラストは不満でした。トミコの変化するラストが見たかったです。したのかもしれませんけどね。
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