八木

君たちはどう生きるかの八木のレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
3.2
 まったく情報なしで見ることができました。
 「戦争ダメよ」とお説教いただくのが最後の作品なのかあ、と冒頭に思ったものの、宮崎映画らしいアニメっぽくない平熱な感情表現に、あれほど抜かりないエンタメを作ってきたカウンターとしての、「もうちょっと説明欲しい」の連続と、余韻を置くことも嫌ったつくりに、素直に楽しむような映画ではなかったです。
 主人公の真人君は、エヴァQでいえば「どういう状況になっても全然平気なシンジ君」みたいな感じで、そのくらい、ストーリーの中で突如起こる軋みに対しての対応力がすさまじいです。この映画において、主人公は乗り越えるべき壁というものが最初にドンと提示され、その解決とともに成長していくストーリーとなるのですが、展開が本当に唐突なものばかりであり、これまで作ってきたすばらしい映画がネタ振りとなって、単に変な映画としてぼんやり感想を持つことを許されないのでした。
 もしかしたら、原作や、宮崎リテラシーの高い人にとっては特に違和感はないのかもしれません。自分はハウル見てないくらいの人間なので。

 自分の理解としては、とにかく真人にとって踏み入れたあの世界は、すでに真人が精神的なつながりを持つ世界であるため、たとえば出会った人物たちの正体や、そもそもアオサギがその世界に引き入れたことに対しても、本来もうちょっと戸惑いや疑問を見せてしかるべきのところ、「それが大して重要ではない」ということが初めからわかっているからリアクションが薄いということなのでは、と途中から見方を変えました。初めから真人は、自分にとっての問題をわりかし具体的に捉えられているため、現在の状況を第三者的に捉えられないし提示する必要もないのであれば通りが良くなります。
 この映画はおそらく、真人にとっての問題とその解決のプロセスを主観のみ追体験することにフォーカスしているので、第三者として観光で訪問した自分のような人間を時々置いてけぼりするのです。
 逆に言いますと、早い段階でこの映画のルールを理解できた場合に、おそらくこの映画は見る人にとっての特別な映画となりうるのではないでしょうか。自分は全然そういったものにならなかったです。というより、これが宮崎映画というとんでもねえクソデカブランドがなかった場合、良くできてない映画だったとうっかり切り捨てる可能性もあると思います。

 例えばナツコと真人の関係性について、いろいろあって(ネタバレ回避)ナツコとの関係性にぎこちなさを感じていたとしても、ケガの見せ方と時間経過がめっちゃわかりにくかったり、もちろん台詞で処理したりもしないし、中盤以降の「ナツコのあのセリフの根拠どっか提示されたか?」「真人の心変わり急じゃない?」とか。もうちょっと肉つけてくれたら、問題とその解決に感動を呼べたような気がするんですけど、これが絶妙に配された薄味なのか単に不出来なのか、自分には判断できませんでした。だって正直、そもそもぎこちなかったという表現をあまりいただいた気すらしなかったんだもんよ。
 何を書いてもネタバレになりますし、ネタバレが大して重要ではなく、そもそもタイトルで何かを語ってしまっておりますので、すべて忘れて記念に一つという感覚で鑑賞すればいいような気がしました。

 鑑賞後一日が経過したあとに、あれだけややこしい人間であることを通した宮崎駿が、最後の映画を通じて、少なくとも説教用の棘ついた棒で観客をぶん殴って隆起した亀頭をガシガシしごくことはしなかったということと、人生を通じて得た学びから、「君たちはどう生きるか」という原作とその問いかけをせざるを得なかったということは、作家としての祝福がここにあった気がしております。
 だって、説教始めたら気持ちよくなって我を見失う人がいるし、その資格も土壌も何もかもあったのに、それをしなかったんだから、それだけで感謝する気持ちが残ったんですよね。
八木

八木