暴力の二面性をコメディっぽさとともに見せる、みたいな意味合いでは、ニチアサヒーローものに寄ったタランティーノ映画のような味わいでした。
「行き過ぎた正義は悪と紙一重」という、現代ネット環境からなにか着想を得たようなテーマを、とにかくエクストリームに役者に演じさせ、それらに対して主人公の深間がエイヤと制裁して話が終わります。この見終わったあとに何も残らないような作りや、上映時間が100分と、絶妙に疲れない時間なのも併せて、やかましくなりそうなテーマを取り扱ったふりをしながら、実際のところ悪い奴らがいたぶられるというエンタメを楽しんでね、というのがこの映画の機能ではないでしょうか。
自分がこれに乗り切れなかったのは、流石にちょっと問題解決のための火の付け方が雑すぎるということです。
とにかく富士見町という町の価値観や、町会と警察のパワーバランスが、深間の3年のアメリカ幽閉の間にガラっと変わりました、その辺はぜひとも気にしないでいてください、という思い切った省略とかは全然いいと思ったんですよ。でも、町会による保安活動というものが、具体的にこのような手段です、と提示されるたびに、町の変化と合わせてどんどんファンタジーなものになって、痛みや緊張を感じながら見ることができなくなってたんです。すごくどうでもいいものになってしまってた。
警察が暴力を取り締まれなくなった世界、保安活動に武器を携帯しても見逃される世界、そして、深間と関係のあった人情味のある人間だけが、以前の価値観で生活する世界であり、その人らが対して広くもなさそうな町で、うまいこと逃れる集落を作って逃れてしまえる世界。
最後にエクストリームな悪を圧倒的暴力で解決するという目標のために、都合のいい前提を準備しすぎてるということと、準備自体が目に見えすぎるということ、あともっと言えば、「これどうやら最後の暴力を見せるだけの映画だな」という心の準備も結構手前からできてしまっていることが、映画の楽しさをかなり削いでしまってたと思います。つまり脚本のミスってことではないでしょうか。
ただ、やりたいことと潔い省略がしっかりと見える映画だと思いますので、全体的に好感度は高かったです。逆に言いますと、上記のようなことをうるさく感じない人は楽しめる映画ではないでしょうか。
序盤深間が振るう暴力にはカタルシスがあり、中盤保安活動で行われるリンチはスカっとしないというような、どっちも結構ひどいことやってんのに、暴力の性質についてこっちに投げかけるようなつくりになっているところとか、とてもいいと思いました。