八木

ザ・ピーナッツバター・ファルコンの八木のレビュー・感想・評価

4.2
 障害(引いてはマイノリティ)と表現がぶつかるときに、「力なきもの」と描いてしまわないための配慮が息苦しいとすら感じることがあります。だいたいその由来が誠実さからくるものだったりしますし。
 この映画は、障害を持つ者がたまたまストーリーに登場した、という力の抜けた表現を貫いており、そういった息苦しさは少なかったと思います。エレノアが、ダウン症のザックに対して「施設生活を送ることは止むをえず、本人にとってもいいことだ」という認識を当初持っているのは、多くの障害と縁遠い生活を送っている人にとって、少し思うところがあったのではないでしょうか。自分は元福祉職でありましたが、この辺の考えは2周3周していることもあって、新鮮ではないものの、いつ何回聞いても立ち返らなければならない考え方であると感じました。

 主人公それぞれは、生活の中でうまくいかなさを抱えております。それがよくある「イノセントな存在(障害を持つことでその説得力を帯びる)」によって解凍されていく、といったものにはならず、あくまでお互いが補完しあえる関係であるということを描写し続けることで、この映画の感動のタネになっていました。過去のトラウマ、今の仕事、施設生活、それぞれに疑問や苦しみを抱えるからこそ、「友達になろうよ」というザックの求めに、彼らはすっと手を伸ばしたのではないでしょうか。
 この映画は、三人とその周囲が友達を作っていくロードムービーとなっており、主人公以外の登場人物は、描写が少なくとも、見事友達になれた人は「友達を欲していたのだろう」と親しみを持って見ることができました。

 こういった、「こいつらはなんだかこのように生活している」という、厳密じゃない相手の存在の認識こそが、個人の尊重でありぐるっとまわって、障害を扱う映画としての必然を産んでることに気付かされます。見終わっていい映画だったと思えました。
八木

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