むぅ

福田村事件のむぅのレビュー・感想・評価

福田村事件(2023年製作の映画)
4.3
その竹槍はスマホという銃口になっただけ

友人に勧められて観た『glee』というドラマで忘れられないシーンがある。
学園内で銃声が響き渡った。恐怖に怯えながらも生徒たちは"しかるべき行動"を取る。
夏休み明けの始業式の9月1日、防災訓練があった日本の子ども達なら、地震で揺れ始めたら多くが窓を開け机の下に入るだろう。
おそらくそれ以上に迅速に銃声に対して、彼らは行動した。
ショックだった。
あれから数年、9月1日になると『glee』の銃声事件回を思い出す。
そして今年は関東大震災から100年。


1923年9月1日11時58分32秒。
関東大震災が発生。
そのわずか5日後の9月6日。
千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人により、利根川沿いで香川から訪れた薬売りの行商団15人の内、幼児や妊婦を含む9人が殺された。
「朝鮮人だと思った」
それが虐殺の"理由"だった。
それが【福田村事件】


絶望的な既視感がある。
デマを信じる、広める、そして攻撃する。
形を変え、現在でも数々の【福田村事件】は起き続けていると、私は思う。
関東大震災の混乱の中、「朝鮮人が略奪や放火をした」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が集団で襲ってくる」そんなデマが広がる。
そこから官民あげての"朝鮮人狩り"が横行。
その被害者は6000人を超えるともいわれる。

福田村事件が痛ましい事件として語られる際「朝鮮人だと思われて殺されたのは日本人だった」というニュアンスのものを見つけると強烈な違和感に襲われる。
「妊婦のお腹の子含め10人の命が無惨にも奪われた」「彼らの訴えに聞く耳を持たなかった」そして「朝鮮人なら殺してよかったのか」という点であるべきだと思う。

人種差別を描く作品はそれなりに観てきた。そんな中で今作は、"差別"の中には"恐怖"があると痛烈に描いた作品の一つだと思う。
"差別"をする側の"恐怖"。
「いじめられてきた朝鮮人が何をしてもおかしくない」
そういった台詞が全く違う背景や価値観を持つ2人の人物から発せられる。
あぁ、彼らは"自分たち"と"それ以外"の"それ以外"の人々を虐げ差別してきた実感があるのだと鑑賞中震えた。
鑑賞した多くの人が心に刺さるであろうラスト近くの瑛太の台詞よりも、私はこれが刺さった。
私自身はきっと気付かぬまま、無意識なまま、誰かを差別している。
"している事があるかもしれない"くらいに言いたいが、きっと"している"。
そこを突きつけられたようで息が苦しかった。
そして私が実際に"村人たち"の1人だったら、「これはおかしい」「やめよう」と声を上げられただろうか。
出来なかったと思う。

彼らが殺戮に使用した竹槍や斧、今は"スマホという銃口"になって誰もが誰かに"発砲"する危険がある。
SNSでよく聞くその"銃声"を思わずにはいられなかった。

今作が制作されると聞いてから観るのを心待ちにしていた。
9月1日、公開初日の最初の回を鑑賞出来た事を嬉しく思う。
そして劇場は満席だった。
ちょっとだけ、安心した。
むぅ

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