むぅ

秋刀魚の味のむぅのレビュー・感想・評価

秋刀魚の味(1962年製作の映画)
4.1
「周りにたくさん人がいようとも、走るのは自分自身だからです」

私の高校は学級委員の事を何故か"組長"というやや不穏な呼び方をする学校だった。
高1の現代文の授業で「人生はマラソンだ」といった文章について「これはどう言う事か?」と梶井基次郎の檸檬が大好きな190センチくらいある先生が聞いた。
それに対する組長の答えだった。
組長はこうも続けた。
「歩こうとも走ろうともゴールしたら良いとも言えます」
ベリーショートでパッチリした目、吹奏楽部でサックスを吹く組長と私は、いわゆる"同じグループ"にいた。
その昼、お弁当を食べながらもう1人の友人がボソッと聞いた。
「組長、本当は何歳?」
後ろの机の男子グループが爆笑した。
どうやら全員同じ疑問を持ったらしい。
"組長"よりは遥かに穏やかだが多少悪意の見られる"ひょうたん"というあだ名の教師が今作でも同じような事を言っていた。
「結局、人生はひとりぼっちです」


妻を亡くし、娘に家事を任せっきりにしてきた父は娘にくる縁談話を「まだ早いよ」と聞き流していたのだが、ある事をきっかけに娘の結婚について考え始める。


組長の事を思い出したのは、彼女よりもよほど組長感のある岩下志麻が娘役を演じていたからというのは否定出来ない。
そして一体今まで銀幕の中で何人の子を持って来たのだろうかという笠智衆が父を演じる。

女性は23、24歳になれば結婚するものというこの時代の"常識"に今回はやいのやいの言わないのは、私もこれからお行儀悪く他人の年齢についてあれそれ言おうと思っているからである。
笠智衆演じる父が、恩師である"ひょうたん"も交えて同窓会をするのだが、最初誰が"ひょうたん"なのか分からないのだ。私には全員同世代に見えてしまった。その上酔っ払った"ひょうたん"を送った際、それを迎える娘がまたこれ"ひょうたん"と大して年齢が変わらないように見えるから困る。
じゃあ"ひょうたん"が年齢不詳なのかと言うと、そんな事もなくそれ相応にちゃんとおじいちゃんに見える。ちなみに私が生徒なら"ひょうたん"ではなく"ぬらりひょん"と付けたい。
そして、結婚を勧められる娘には兄と弟がいる。
私は「父ちゃん、先に社会人の弟を独立させたらどうかね?」と思いながら観ていたのだが、その弟が最後の方に学ランで登場して度肝を抜かれた。学生だったんかい。そりゃ申し訳なかった。

「艦長じゃないですか」
偶然出会ったかつての部下に父がかけられた言葉に驚く。今作の時代設定は戦後、公開した年から言うなら戦後17年。
私が学ラン姿に驚いた弟くん以外は、戦争を経験している人たちを描いているのだった。
その人の年齢にもよるだろうが、17年前をつい最近のことと感じる人は一定数いる気がする。お互い海軍だった父と部下との「どうして日本は戦争に負けちゃったんですかね」「いやぁ負けて良かったんだよ」という会話が心に残った。

結局秋刀魚は出てこなかった。
娘を送り出すというのは秋刀魚のはらわたのようにほろ苦いって事なのだろうか、秋の味覚の秋刀魚の名を出す事で父の人生が春夏秋冬の秋だと言いたいんだろうか、それとも骨を丁寧に取るように作られた今作の味わいと後味の事だろうか、などと考えながら歩いていた無印良品で[MUJI BOOKS 人と物 小津安二郎]という本を見つけた。

「映画ってのは、あと味の勝負だと僕は思ってますよ」
なるほど。更にページをめくる。
「映画の中での酒のシーンは、バーやキャバレーでのそれ、大宴会、料亭、すし屋、縄のれんでのそれ、と多々あるけれど、私は一番撮って好きなのは、小料理やで気の合った仲間が、静かに体を乱さず、適量の徳利を前にして飲み、かつ談ずるところがいい。私自身が、そんな飲み方をするからでなく、第三者が見ていて、それが一番たのしそうだからである」
なるほど、気をつけます。
パラパラとめくりながらレジに持って行くところまで含め、今作の"あと味"となった。
ちょっと秋っぽくもある。


あの頃、そんな事を夕飯の時に話したので、高2になった時、父は「組長とは同じクラスか?」と聞いた。人の悪口も噂話もしないという美点のある父は、娘の交友関係にも一切口を出さないという非常に心地よい距離を保ってくれる人だった。だから珍しい質問だった。
「クラス別々になっちゃった。もう組長じゃないけどね」
父は魚を美しく食べる人。
ひとりぼっちだなんて思ってない事を願う。
何だかこちらがホロ苦くなってしまった。
むぅ

むぅ