むぅ

永遠の人のむぅのレビュー・感想・評価

永遠の人(1961年製作の映画)
4.4
「.....眉毛がない!」

Filmarksを始めて3年。ただの記録から自分の感情整理、そしてもはやお酒風味の懐古録の様相を呈してきた。そんな中で、レビューを書きたいけれどまとまらず自分の感情をこねくり回す作品に時折出会う。私にとってそれは嬉しい出会い。今作もそうだった。
言いたい事、感じた事はたくさんあるのに何だか言葉が浮かばず、あれそれと考えながら身支度をしていた。
①のボタンを押し、ふとエレベーターの鏡を見てギョッとした。
眉毛、描き忘れてら。
ま、スーパー行くだけだし。
20代の頃なら自分の部屋の階のボタンを連打するところだが、大らかになったと言うか雑になったと言うか。
今作の主人公さだ子も私のような性格であれば、結末は違ったのかもしれない。


昭和7年の九州、阿蘇。
さだ子は戦地から恋人の隆が戻るのを心待ちにしていたが、一足先に片足を怪我して復員した地主の息子平兵衛に犯され結婚する事になってしまう。
そこから夫婦として暮らしていく2人の愛憎の30年を描く。


『二十四の瞳』しか観たことが無かった木下恵介作品。素晴らしかった。
あらすじだけ読むと到底納得がいかないのだが、どこまでも惹き込まれていく。

憎しみという強い感情を抱く相手に対して、ある種の信頼の念も同時に抱く様子を物語で見かける事は多いように思う。MCUだってハリーポッターだって、敵に対して「こうしてくるに違いない」というヒーロー達の"確信"は、私には時に"信頼"に見える。
今作の夫婦にもそれがあったと思う。
人それぞれ濃淡のある愛情よりも、憎しみは一定の濃度があるのかもしれない。
それだけ、相手の事を考える時間が長いのかもしれない。
さだ子の、夫になった人物に対する憎しみの中に、潔癖さのようなものを見た。そして、驚くことに愛情も見た。
「ここで生きてゆく」と決めた彼女のある種の"太々しさ"に詠嘆する。正確には"生きてゆくしかなかった"のだが。
おそらく現代よりも、自身の境遇から逃げるという選択肢が少なかったり無かったりした時代を生きる人の凄みよ。何かあった時、それを回避する誰かの選択を私は支持したい。
でも。私自身はそれに立ち向かえる自分でありたいと思っている事に気付いた。

第5章からなる今作、それぞれの章の間にフラメンコ調の音楽、彼女を暗示する歌が入る。その歌の合いの手が印象的。
でもそれ以上に印象的だったのが、あるシーンの[座布団の使い方]だった。
彼女の復讐とも言えるある出来事を夫に伝える際、彼女は静かに座布団から降りた。
そして、その事を聞いたら確実に怒り狂う夫、その時は畳に直に座っている夫に座布団を譲るようにそっと押し出したのだ。
しかもその後、彼女が大切に想っている人が訪れるかもしれないシーンでは、客用の座布団を無造作に畳に投げ置く。
震えてしまった。
彼女の本心がそこにあった気がした。

『永遠の人』
誰かを永遠に愛する事、誰かを永遠に憎む事、途切れる事のない永遠とは。


それぞれの感情が蠢いているような余白を含む画角、何かを暗示するように映し出される六地蔵、続いていく道、見事なまでに隙のない映像を思い浮かべていたから眉毛を描き忘れたのだろうか。
酔っ払って記憶が無くとも化粧は落とすのに、素面で眉毛を描き忘れるとはこれいかに。
むぅ

むぅ