こうん

山女のこうんのレビュー・感想・評価

山女(2022年製作の映画)
3.9
監督の前作「アイヌモシㇼ」が素晴らしかったのと、フォークロア好きで遠野に幾度か訪問している人間なもので、柳田國男「遠野物語」に着想を得ているらしい福永監督最新作は〝俺得〟じゃん!と思って楽しみにしていたんですけど…
ん?
なんか全体的に足らない…と思いました。

前作、前々作はかなりリアリズムに寄った作劇で、なんなら現実そのものをフィクションに織り込む形でドキュメンタリー的な迫真性を獲得しており、それが映画の面白さであり強度だったと思うのですが、本作は18世紀末の東北の寒村が舞台ということで100%のフィクション。
それが映画として信じられる世界観になっていたかと言うと…すみません、作り物ぽいと感じてしまいましたかね…。

福永監督への期待でハードルがあがってしまっていたし、わたしなりの「遠野物語」への解像度というのがあるので、そのリアリズムやフィクション度が琴線にタッチしてくれず、あんまり入り込めませんでした。
いや、これは受け手であるわたしが事前に盛り上がりすぎていただけのことなので、わたしの感想を理解してくれとも思わないし、なんなら十全に楽しめなくて作り手に申し訳ない、とすら思っております。

でもまぁ「もうちょっとこうしてくれたら!」というのはあるので、それを書いていきます。

おそらく本作にはふたつの側面があって、ひとつは現代の暗喩劇として描く(文字通りの)〝ムラ社会〟の恐ろしさや理不尽さ。そしてその最下層にいる主人公凛のある種の宗教的な解放の物語がもうひとつの側面なのかな、と思いました。
前者は類型的とも普遍的ともいえる差別構造の描写で、ここはまぁ腑に落ちるのだけど(とはいえ差別側がキャラクター分けによるグラデーションに乏しいと思う)、後者のほうが、主人公凛の心の拠り所である霊峰早池峰への信奉があんまり伝わりにくいし、それが禁忌を超えて山男と出会い獲得する強い意志になっていくのだけど、彼女に降りかかる理不尽がどんどん西欧の魔女狩りの様相になっていくのもあって、しかも大衆の面前での人身御供としての火あぶりが東北の山の中で実際にあったのか浅学でわからないのですけど、飲み込みづらかったですかね。
その契機となる森山未來演じる山男がちょいとファンタジーすぎるのも、ちょっと齟齬を起こしました。仙人かよと思いました。
(山男という存在はいたそうですが、実際には障害があったり精神的な病で里を追われたり捨てられた人だったそうです。でのちに禁忌の対象として妖怪の伝承になるわけです)
あと山男と凛の関係に男女のニュアンスがあるので、凛が庇護される存在に見えてしまうのは、本作にそぐわない気がしましたね。

そんな感じで作劇上のふたつのモチーフと、それらを語るディテールのリアリズムとファンタジーのバランス、各キャラクターの葛藤と克服のドラマが絶妙に噛み合っていない気がしました。

あとは画力が足りない…気がしました。
なんかね、あんまり山の中森の奥という感じがしないというか…
遠野の五百羅漢に曇天の日になんか行くと「マジでなんかいる…!」という感じがするんですけど、それが本作にはなかったというか。それはつまり精霊的なスーパーナチュラルへの畏怖ということなんですけど。
山の中は恐ろしいという原初的な感情が抜けている気がしましたね。
遠野物語に限らず、民話のベースには人外への畏怖というのが通底していると思うので、人間同士のいさこざにフォーカスされすぎのような気はしました。

…なんか文句ばかり多くなってしまったけど、すみません…
はじめて観た山田杏奈さんの齧歯類のような可愛さと逞しさはよかったし、永瀬正敏さんの顔付きもなんか怪優になってきたなぁと感慨深い。そうそう、こういう映画にこそでんでんさん(英語表記はDENDEN)は迫力を持ちます。
あといつもいつも頼もしい川瀬陽太さま。そして二ノ宮さんの好人物ぶりが素晴らしかったですね。一服の清涼剤的存在でした。そして三浦透子さんの錘のような存在感。

総じて面白かったけど全体的に惜しい!といった感じでしたかねー。
でもわたしの好きな世界観であるがゆえに、色々文句ばかり出てしまいました。申し訳ないんですけど、相変わらず福永監督は現状の日本の映画界のなかで独特の視点と作家性とをお持ちで際立っていると思うので、次回作も大期待です!という事だけは声を張って申し上げておきます。

そうそう、現在の遠野市は民話のふるさとであるのと同時に、ホップの産地で地ビールが美味しいので、ビール好きにはオススメです。どんどはれ。
こうん

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