こうん

カード・カウンターのこうんのレビュー・感想・評価

カード・カウンター(2021年製作の映画)
4.5
いや~オモチロイ!
オスカー・アイザックの芳艶なる色気!
ハードボイルドな心理ドラマ!
クールでドライな映画文法!

この“オモチロイ”の大前提として、めちゃんこわたし好み!ということをあらかじめご寛恕いただきたいですが、たまりませんでしたね~。

ポール・シュレイダーさんの名前は昔から馴染みがあるけどあんまり真正面から捉えたことがなく、うすぼんやりと“業を背負った男の話ばっかり描いている人”くらいの認識でしたけど、本作はまさにシュレイダーさんの〝いつものやつ〟なんですが、その物語とキャラクターとナラティブがぴったりとハマった感じで、会心の一作になっているんじゃないですかね。

まず口角泡を飛ばして訴えたいのは、オスカー・アイザックの映画であるということ!
「ドライブ」ではじめて(一方的に)お会いしてから彼の出演作をいろいろ観てきましたけど、さまざまなかたちでアイザックさんが魅せてきた、やさしさや親しみやすさや繊細さや危うさや妖しさや剣呑さやセクシーが、本作には全部詰まっていてオスカー・アイザックの満漢全席といってもいいくらいのアイザック劇場になっていましたね。

シンプルにカッコいいし、内包するヤバさを抑え込んでいるようなストイックさにはどこか憧れるし、色気がすごいのよね…撫でつけた髪がはらりと落ちた時には男のわたしでも「うふっ♡」となりましたね。
あーいう髪型にしてみたいと思いましたが絶望的に毛量が足りないので2秒で諦めました。

この人の魅力は中南米系の顔立ちの真ん中に鎮座する“眼”だと思っていますけど、この眼が百万語の言葉に勝る感情を放ちまくっていて、この映画のエンジンになっていた、と言っても過言ではないと思います。

そのアイザックさんが扮するウィリアム・テルは獄中で覚えた“カード・カウンティング”というカードゲームの裏技(イカサマ技術ではないっぽい)を武器にアメリカ各地のカジノを渡り歩くギャンブラーで、“小さく勝負し小さく勝つ”をモットーに勝負し続ける日々。その毎日がおそろしく禁欲的でミニマムでルーティン、自らのルールに従い律することが目的化したようなギャンブラーなんですけど、それが「え?」となるのが彼がモーテルに入ったら必ず行うルームセッティング。
スーツケースから取り出したるは大きな布。マイシーツ?ではなくて、部屋のすべてを覆い包むための布。マットレスもベッドもサイドテーブルもテレビもテーブルライトまで包み、丁寧に麻紐で縛り上げるウィリアムさん。
うわ〜なんかおかしいこの人…最期まで見てもこの行為の明確な意味や由来は語られませんが、しかしその薄暗いトーンの景色のない異空間として現出するスペースは彼にとって必要不可欠、というやすらぎ空間でもある。たぶんあれは自らの罪と向かい合うセルフ牢獄なんでしょうね。
…ということが描かれる冒頭15分で1億点ですよ!

ある種の偏執すら感じるこの描写は、ウィリアムの来歴が明らかになるにつれて腑に落ちるし、悪魔の所業に手を染めた過去から逃れられない彼が精神の均衡を保つための(酒でもドラッグでもない)処方箋であり、必死に押さえつけている狂気そのものでもあるということが最終盤にグワっと前傾化してきます。常に携帯しているのはシーツだけではなかった、ていうのも合わせて凄みが増し増しです。
このパラノイアックなキャラクターがまたオスカー・アイザックに合うんですわ。

その悪魔の所業というのが、かの悪名高きアブグレイブ刑務所で行われた非道な尋問拷問ですよ。それに加担した/させられたウィリアムは有罪判決を受け軍刑務所に服役し10年の刑期で出所した後にギャンブラーとして半醒半死のまま生きているというのが本作のスタートで、そのアブグレイブの関係者に運命的に出会うことで、歯車が動き出す…という物語で。

ベトナム戦争を背景に社会正義という名の狂気に突っ走る男(「タクシードライバー」)を書いたポール・シュレイダーは、本作でも現代アメリカの正義の暴走を原罪として抱えた男の贖罪と怒りを描いていて、なんとも頼もしいブレなさを見せてくれています。

そして本作では監督としての冴えも迸っていて、そのシックで端正なルックと抑制の利いたキャメラワーク、ゆったりとした間のナラティブやギターロックを採用した音楽使い、はたまた極度に歪んだ回想シーン(どうやって撮ってるんだろう?)など、ひとつの映画として地味だけど、すごく上品で物静かでありつつ、ちゃんと激しいエモーションも仕込まれている、バランスのいい作品になってましたね。ナイトシーンなんかは艶があってさらに良かったです。

監督作は三島由紀夫のやつしか観てないけど(たしか三島の遺族の許可云々で日本未公開)、76歳のポール・シュレイダーの現在地に不遜ながら「いいじゃん!」と思いましたね。
冒頭のタイトルの画面構成とフォントからして、いい予感しかしませんでしたし、愛国丸出しのポーカー強者の出し方も絶妙な距離感と浮いた感じで、滑稽とシリアスの中庸に置くような描き方が巧いと思いました。取り巻き2人の「USA!USA!」がむなしく響く滑稽感。あの距離感ですよ、決して馬鹿にしているわけではないけど傍観している感じ、たまらん。

わたし自身、ギャンブルは全く興味ないのでポーカーのルールもなんも知らないのですけど、カードカウンティングというテクは、出たカードから残りのカードを把握しそれで決め手の確度をあげるというものだと思うんですけど、そこに求められる忍耐や慎重さや記憶力や推察能力がウィリアムのキャラクターを示しているし、終盤になるほど勝利の確率もギャンブル度もあがるという性格だと思うので映画にぴったり。この理解が正しいのかわからないけど作劇として上手いと思うし、ギャンブラーものとして「ハスラー」みたいなストイックな世界に生きる男の孤独と凄みがあって、あまり栄えていない感じのカジノの風景も相まって激シブでしたね。
鶴田浩二の任侠映画の風情すらあった気がします。
(ヤクザの賭博の世界を描いた「博徒」シリーズを思い出しましたけどたぶんシュレイダーさんは観ていると思う)

そのスモールワールドで出会うティファニー・ハディッシュさんが、どちらかというと裏街道の業界に生きているにも関わらず陽性でセクシーで、情の深い感じが良かったですよね。南田洋子ですな。この人とオスカー・アイザックの関係性も面白かったですし、彼女に対して徐々に開襟していく様が孤独な男が人間性を取り戻しているようでもあって、あのラストも大納得。あれはほとんどセックスです。

またウィリアムが刹那に出会う、自分と同じ理由で人生に行き詰まっている青年カークをタイ・シェリダンが演じていて、幼さとセンチメンタルと危うさを同居させていて、彼も良かった。ちょっと眼の表情がバリー・コーガンぽくて。でもアメリカのヤンキー感がカットオフしたTシャツから漏れてました。マコノヒーと共演した「MUD」でこの人覚えたけど、けっこういい感じのアメリカの負を体現できる感じが好ましいです。

そしてウィレム・デフォーがいいことは万物の理なので言葉を重ねる愚は犯すまい。
(でも「プラトーン」の役柄からここに来たことに想いを馳せます)

全体に個々のモチーフやキャラクターは今様なんだけど、全体のフィクションの在り方がやはりオールドファッションで、しかしそのあたりに潜む76歳のクリエイティビティが尖っている様にテンションが上がりましたことですよ。
よく見ると本作は2021年の作で、なんでも次回作も完成済みとのことで、前作の「魂のゆくえ」を未見のわたしは「ポール・シュレイダー来てるんじゃないの?」という予感でビンビンです。無頼の老映画人の咆哮を聴け!という感じですね。

休日の昼間にハイボール呑み乍ら観たのでより楽しかったし充実の映画時間でした。
間違いなく、渋好みの大人の映画です。
こういう中規模の(大規模とはだいぶかけ離れているだろう)映画を積極的に映画館で観て時には下駄履いて褒めていきたいと改めて思いました。
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