こうん

それでも私は生きていくのこうんのレビュー・感想・評価

それでも私は生きていく(2022年製作の映画)
4.3
新宿武蔵野館のトイレに貼ってある本作のピンナップ見ていて「レア・セドゥが安藤サクラに見える〜」と思って、よし観たうえでレア・セドゥ=安藤サクラ同一人物説ぶちあげちゃる!と息巻いて観てきました。
 
観た→レア・セドゥと安藤サクラはほぼほぼ同一人物です!

特にあのやや不機嫌にも見えるアンニュイでメランコリーな眼の表情、というのがそっくりで、おまけに本作でのレア・セドゥのさめざめ泣きは安藤サクラのそれを想起させる感情装置となっていて、なんかよかったですね…
ともあれ、こういう等身大のレア・セドゥさんを初めて観た気がしましたし、この映画を等身大の出来事として丁寧に受け取りましたよ。メルシー。
 
早くに夫を亡くし通訳の仕事をしながら一人娘と暮らす30歳代半ばの主人公がレア・セドゥなんですけど、父親の介護や夫の友人との恋や難しくなってきた一人娘や、そういうさまざまの日常の葛藤のなかでもっともドラマティックなのは、セドゥさんの体躯から湧き出るリビドーですよ。
エロい意味も込みで(正直に)言いますけど、レア・セドゥさんの身体が内側から充実しまくっている感じで、なんというか生物としての躍動を常に抑え込み秘めているその佇まいが、レア・セドゥさん演じるサンドラの行動原理にもなっているし葛藤にもなっている、そこが素晴らしかったですね。
顔に表情があるように身体にもある表情が豊かだった、とも言えるかもしれません。
こういう言語化出来ない、非論理的な魂の入れ物としての肉体の表現力を堪能できるのが映画の醍醐味だと改めて思いました。
ついでにスケベ丸出しで言わせてもらえば、レア・セドゥさんのアンチグラヴィティなおっぱいすごい。
 
レア・セドゥと安藤サクラが似ている(かもしれない)という発見に何の意味もないですけど(笑)、お二人ともその身丈のわりにスクリーンだと大きく見える、というのも身体表現に優れた俳優だということが言えるかもしれません。演技者としての方向性も近いのではないかしら。
(セドゥさんの実家は映画会社で安藤さんは俳優一家なので、出自も近しいよね)
 
レア・セドゥさん演じるサンドラの日常を、説明なく淡々と紡いでいく語り口も良くって、フレーミングやカットの長さや場面選択がミニマムで抑制が効いているゆえに、画面の外側にニュアンスを流し込んでいて、静かなトーンの中にも絶妙に興味を引き付けてくれていましたね。
特にサンドラの父親への複雑な感情の、直截に描かれないニュアンスにはグッときましたよ。学徒である父親を好きだし尊敬もしているしなんならその背中を追うサンドラの半生なのだが、神経系の認知症を得た父親に戸惑い、日々忘れられていく、彼の中の彼女の存在が小さくなっていく、そういう事態への怖れや怒り、また父親の恋人レイラへの嫉妬など、複雑な感情が逆巻いているサンドラさんの胡乱な表情に、ものすごいドラマを観ましたねわたしは。彼女が父親の介助(下の世話)をしないのもわかる気がしたし、そこに一線を引いているサンドラの矜持も多分に感じたりしました。
あとは、わたしも義父の介護をやってたんでそこの共感性は高いですわ。本人の意思を確認したとはいえ、施設に入所してもらう時は少なからず自分を責めますよね。
その父親を演じたパスカル・グレゴリーさんの、認知が錯綜している様やその背中の傾斜具合がものすごい説得力でした。高名な哲学者でもあるそのインテジェンスを匂わせながらね。その父親を喪ったらサンドラさんのアイデンティティもグラつくと思うんですけど、そのへんの覚悟も滲ませるような、終盤のとある作劇にも、静かな凄味を感じましたよ。
 
そして夫の死と子育てと父親の介護と、自分を後回しにしてきたサンドラが、夫の友人で妻帯者であるクレマンとの再会で心が華やいでいくのが本作の骨子のひとつでもあるんですけど、このクレマンがいい男ではあるんだけど優柔不断でそのジグザグの不倫の恋をいちいち受け入れちゃうサンドラに「おい!」と思うんですけど、その心情も痛いほど理解できるし、そういうどうしようもない真摯な性愛の関係もいっそ清々しいので、面白かったですけどね。一回だけクレマンのSNSメッセージには「おいっ」と声が出ました。
このあたりの塩梅はさすが性愛の国フランス、って感じです。
でも足許おぼつかない時に掴まれる肩があることや掴んでくれる手があることは、なにごとにも替えがたく尊いです、と思います。ひとりよりふたりがいい。
 
恥ずかしながらミア・ハンセン=ラブさんの映画を初めて観ました。本作に関して、たぶん結構パーソナルな部分を俳優に仮託しているのではないかと思うんですけど、その誠実な語り口の理知的な抑揚と物語やキャラクターの映画的な捉え方のミニマムさ、というのはひとつひとつ好感しかなかったですね。ドスンとくるパワータイプの映画ではないですけど、今ゆっくり反芻していて、また観たいかも…となっているところです。
ま、その中心にあるのがレア・セドゥさんの存在ではあるんですけど。
レア・セドゥさんと安藤サクラさん、映画で共演してくれないですかね。なんか、一緒にゾンビと闘うとかでもいんですけど。
 
それにしてもしかし、なんですね…ここまで意図的に固有名詞出してこなかったですけど、エリック・ロメール!ロメール感でジューシーな映画でしたよ。
亡くなって時代は一回りしたのにまだここまで濃厚に影響を与え続けるっていうのは、ロメール映画がPOPであることの証左ですけど、一応私もロメール好きなので(嫌いな人いるのか?)、今度真面目にロメールと向き合ってみたいと思います。
 
改めて思ったけど、フランスは個人主義が社会生活の根幹にあってそのうえでの家族関係で、日本だと個人意識より〝家族〟〝家庭〟への帰属意識が強いよなぁと思いましたね。
(だから不倫がアホみたいに叩かれるのよね、アホみたいに)

そうそう、戦没者追悼式や親族や所謂老人ホームでやたらと老人が出てくる映画でもありました。
だからなおさらにタナトスの前のレア・セドゥさんが際立つのでしょうね。
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