backpacker

怪物のbackpackerのレビュー・感想・評価

怪物(2023年製作の映画)
3.0
【備忘雑感】
物事は、一面的には、語れない。
怪物とは、自分であり、他者であり、世界であり、そのどれでもない。
シングルマザーの麦野早織(演:安藤さくら)、新人教室の保利道敏(演:永山瑛太)、早織の息子麦野湊(演: 黒川想矢 )。
3つの視点が描く世界は、それぞれの持つ常識・価値観・真実が、他の視点で見てみれば、いかに的外れなことかを炙り出す。
当人にとっては当たり前なことで、何気なく告げているに過ぎない言葉も、受け取り手からしてみれば、心を引き裂く鋭い刃足りえる。
人生を積み重ね、凝り固まった常識の果てに自己を確立した大人達は、悍ましい怪物の存在を、自分の守りたい世界の外側に見出す。
一方で、身の回りの関係性=暴風荒れ狂う世界の住人である子ども達は、型にはまらぬ自分の有り様を恐怖し、自己否定と破壊の苦しみの中、我こそが怪物であると慟哭する。

自分を傷つける"何か"から逃れる為には、世界が求める自分の姿に、自分を変えていかなくてはならない。例えそれが、怪物の姿であったとしても。だが実のところ、別の怪物に変身するに過ぎないのかもしれないが。
ありのまま、自分のままで生きることは、社会=群れを形成する人間という動物社会では、困難の連続だ。自己を確立するまでの間に、苦しみが、イヤになるほど降りかかる。
それは、大人になるための通過儀礼であり、人間社会を生き抜くための洗礼でもあるが、圧倒的多数の支持する"普通"という不気味な概念の押し付けでもあるのだ。
異なる"普通"を持つ人にとっては、傍迷惑な話だろう。イノセントな状態の少年たちにとっては、殊更に。

一幕目。息子のイジメ問題に直面し母親が体験した、学校の隠蔽体質と人間性を喪失した謝罪に戦いを挑むサスペンス。
二幕目。生徒のイジメを教師が直面した教育現場の事なかれ主義の政治劇と、生徒達に陥れられるスリラー。
三幕目。小学校という密室擬似社会の人間関係が友情を阻む中、自分の性とリアルな社会環境の圧力に苦しむ少年たちの、それでも幸福を信じる青春ジュブナイル。
一幕目は早織、二幕目は保利、三幕目は湊、と、ハッキリと別れた構成の中、それぞれの展開が単体としてハッキリと示されつつ、通しで見ることで明らかとなる作劇はお見事。
また、各幕の終わりが次の幕へとクリフハンガーしつつ、サスペンス性を損なわない、むしろ少しずつ強固になっていくのが素晴らしい。
光あるところに影ありのように、物事を多面的に捉えて、陰陽表裏を見なくては、わからないことがある。脚本の巧みさには脱帽だ。

暗い内容に終始したように見えていたのに、三幕目で見えてきた純粋な少年同士の愛の物語と、爽やかな結末。
果たしてあの水々しい原っぱの世界は、現実なのか、ビッグクランチ後=死後なのか。どう捉えるかは、自分次第。
backpacker

backpacker