マサキシンペイ

君たちはどう生きるかのマサキシンペイのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
3.7
宮崎駿という人間、最晩年の悲壮な道楽。
商業的観点からみて、これほどまで娯楽性を無視し、啓蒙的意図すらかなぐり捨てて、作品をこのクオリティで成立させられるアニメーション作家は、後にも先にも宮崎駿以外には考え難い。
宮崎駿〝閣下〟の名声と権力に支えられて初めて存立可能な作品である。人類のクリエイティビティにそのような境地があり得るということを目の当たりに出来たのは感慨深い。

これは非難であると同時に賛辞だ。

ストーリーとしては、母との死別、父の子を身籠った新しい妻に接する思春期の少年の葛藤と受容の物語と要約できる。
しかしストーリーは本質的に重要ではない。
トラウマの克服に至る心理的経緯は、必ずしも他者からみて共感可能なものであるとは限らないし、ましてや少年の思考回路に整合性を求めるわけにもいくまい。
その心理的リアリティをシステムとして活用することで、幻想的なイメージの断片を脈絡なく詰め込んでいる。

思春期の妄想のリアリティを描くことは、あくまで作風を成立させるための口実に過ぎず、イメージの洪水にすることをこそが主の目的に見える。
実際、主要なキャラクターのそれぞれが一つの人格として描写されているように感じられないし、何らかの思想や概念の象徴として機能しているわけでもない。

タイトルに反して、全く説教臭い部分はなく、むしろ鑑賞者に対し何らかのメッセージを発信しなければならないという社会性から解放された創作をしたいという、宮崎駿のクリエイターとしての基礎欲求のようなものだけが伝わってくる。
老人の少年化、幼児化という表現が最もしっくりくる。

その上で何より、〝積み木の継承〟は行われなかったという描写のみが象徴的で印象に残る。
継承は行われなかったにも関わらず、何か別の光明があるわけでもなく、そしてその後の世界に天変地異があるわけでもなく、継承が行われないことの問題性が明示されていない。
あれほど不気味で恐ろしかった軍隊が、元の世界に飛び出すと小さく無力なインコになってしまうというのも示唆的である。
2つの世界は繋がってはいるがさほど連動はしていない。
「世界を作る」という行為そのものが、もうどうでも良くなってしまった、創作に実は現実を変える力がないことも自覚している、もう疲れたんだ、という諦観を表現しているとしか読み取りようがなかった。
クリエイターとしての〝燃え尽き〟そのものを作品化していると言えよう。


老人の放った『君たちはどう生きるか』というタイトルの背後には普通、「俺の背中を追ってこい、そして君たち自身で新しい世界を切り開け」という意図が含意されそうである。
少なくともその意図を含めるのが、立派に生きてきた老人〝らしい〟振る舞いのはずだ。しかし、そのあるはずの意図がこの作品からは汲み取れない。
そこにこの作品の評価の難しさ、宮崎駿という老人の非凡さが逆説的に宿っている。
分かりやすい〝偉大な作家〟像にまとまろうとせずに、言うなれば自身の性分の見苦しさをこの最晩年で曝け出さざるを得なかったという〝未熟さ〟。
大学生ぐらいの万能感と無力感の躁鬱を、最強の実力者が老年になってもなお、より一層強く繰り返しているような違和感と凄み。

批評を行おうとすると罵倒のようになってしまうし、実際に罵倒になっているが、しかし今さら無垢に、老いるほどに青臭くなっていく宮崎駿という作家に興味をそそられずには居られない。
マサキシンペイ

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