マサキシンペイ

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームのマサキシンペイのレビュー・感想・評価

4.3
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」

スパイダーマンの時空を超えた戦い。
ドクター・ストレンジの魔法による不慮の事故で多元宇宙の扉が開き、パラレルワールドからスパイダーマン・ヴィランのオールスターが集結する。
"かつての面影"のままに。

14年目に突入したMCUが、マーベル20年来の苦難の歴史に挑んだ、贖罪にも似た究極のファンサービス。

90年代の業績不振に喘いだマーベルが、ソニーに映画制作権を売却したことにより端を発した初代『スパイダーマン』シリーズ(2002〜2007)は、人気を博しながらも主要キャストの降板により3作で打ち切り。
ソニーの配下で、新キャスト三部作構想で始まった『アメイジング・スパイダーマン』シリーズ(2012〜2014)も興業不振により2作目で頓挫。

身売りの屈辱と二度のリセットを経て、2016年の『シビル・ウォー』にて、マーベル純正、ある意味"正史"として、本トム・ホランド版スパイダーマンは誕生(帰還)しているわけである。
しかし、それが例え"暗い過去"だったとしても、かつての二つの映画シリーズが、なかったことにされたことは、ファンにとっては遺恨となっていた。
なによりも20年前に父と映画館で観た最初の『スパイダーマン』は、当時9歳だった僕にとっても最初のスパイダーマン、アメコミというカルチャーのファーストインパクトだったからだ。
最も強大なヴィランは、グリーン・ゴブリンでもドック・オクでもなく、ときに生みの親である制作者なのである。

本作はソニー版の『スパイダーマン』シリーズに登場したヴィラン達が当時のキャストによって蘇っている。
MCU以前の"乱用"と化してしまったシリーズ展開を、「マルチバース」という文脈に飲み込むという力業が、どれほどまでにファンの溜飲を下げたことだろうか。
20年ぶりのウィレム・デフォーによるグリーン・ゴブリンを目の当たりにした瞬間に、思わずガッツポーズを取ってしまった。
映画史上最も壮大なコンテキストとなったMCUの「大いなる力」によって「大いなる責任」が果たされたのだ。
マサキシンペイ

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