yoshi

家族のyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

家族(1970年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

現在、師走も半ば。故郷を離れて暮らす者にとって帰省を考える時期。帰省の「省」の字には「親の安否を確かめる」という意味があるそうだ。両親が亡くなり、空き家となった実家を売却した私にとって、もはや戻るべき故郷はない。現住地で必死に生きるしかない。「人生は旅のようなもの」観た時に私の心に重く響いた作品です。

名匠、山田洋次監督が日本列島縦断三千キロのロケと一年間という時間をかけて完成した大作。

1970年、長崎県の離島、伊王島の炭鉱で働く風見精一(井川比佐志)は、会社が倒産したため以前から夢見ていた北海道の中標津町開拓村で酪農をする決心をした…。

日本経済の著しい成長を迎えた1970年
九州から北海道の開拓地に移住する一家の喜怒哀楽の姿をドキュメント風に描いたロードムービーです。
いや移動手段が鉄道ゆえレイルウェイムービーというべきか?

(新幹線も飛行機も網羅された現在。平成生まれの方は想像つかないかも知れませんが、この時代、私も住んでいた東北から東京まで夜行列車に乗って行った。それが長崎から北海道。数日かかる大移動なのです。)

移住する家族の構成は夫婦に幼い長男、乳飲み子の長女、そして父親の5人。

九州の離島から北海道の開拓地へ移住は、主人公の父親の独断、猪突猛進がそうさせたのですが、逞しく生き抜いて行く姿は、70年代当時の高度経済成長期の活力の象徴のようにも見られます。

(昭和の昔は「俺についてこい」と断言する亭主関白な父親、「仕事一筋」「頑固一徹」そんな父親が沢山いました。
私の父親もそうであり、身を粉にして働くことは家族を守ることだと、言葉ではなくその背中から教わった。
井川比佐志が演じるような長男は昭和に沢山いました。余りに自然な演技故に、後の出演作品もこんな頑固者が多いですね。
思えば私の父親もこんな人でした。)

当初反対していた妻民子(倍賞千恵子)も一緒に行くこととなり、幼児2人も連れて行くことになる。ただ、父親の源蔵(笠智衆)は、高齢なので広島に居る次男力(前田吟)に預けることにしたが…。

(高齢者介護の問題は昔からありました。家を継ぐ長男が、親を家で死なせてあげたいという想い。
家屋、土地、家族、先祖代々の墓、家名の全てを引き受けるということは今でも大変なことです。
その全てを捨てて、移住するというのはやはり並々ならぬ決意。
島の人々から家族に送られるお餞別。
当時の人々の心遣いと心意気が感じられます。)

長崎から電車で次男力が住む広島の福山市に向かう。
力は駅までローンで買った自動車で迎えに来て自宅へ案内した。
そんな力には妻と子供が居るがローンの支払いで暮らしに余裕はない。
また、精一がなんの相談もなくいきなり物事を決めていたことへの反発もあって、父を預かることは難色を示したため、民子は、源蔵も北海道に連れて行くことにする。

(どの家庭にも、それぞれ事情はあるものです。
家督は長男が継ぐはずだった。しかし家も土地も捨てて新天地で暮らすという。
今後、何処に帰ればいいのか?
いきなり故郷が無くなるなんて。
何の相談も無しに決めて、しかも、途中で父親を預けるという。
故郷を失ったことすら腹がたつ。
ワンシーンながら若い前田吟の焦りの演技から、そんな声が聞こえてきそうでした。
そして申し訳なさそうな祖父役の笠智衆。奇遇にも小津安二郎の名作「東京物語」と同じようにたらい回しされる。
しかし、その祖父をドンと引き受ける妻の倍賞千恵子が、小さな身体なのに逞しく見える。)

大阪に着くと万博開催中で、地下街で昼食をとる。
時間がないため精一と剛は万博入り口まで行って記憶に留めることにした。
民子はお金を寸借した町のチンケ(花澤徳栄)と出会い、お金を返せ返せないと言い争いになるが別れる。

(「折角、来たのだから…」今ではあまり聞かない言葉です。
情報化社会の現在、自分の好みの場所へ渋滞や人混みを避ける選択と検索が出来る時代。
疲れるのが分かっているのに、わざわざ行く。それは思い出づくりに他なりません。
上野公園のパンダを並んで見に行ったことを思い出します。たった数分のために。
この映画に映る人混みと真新しい岡本太郎の「太陽の塔」は映像遺産と言っていいほど生々しい。当時の熱気が感じられます。)

そして新幹線に乗り換え東京へ。そして込み合う電車で上野駅へ。
(移動する人の波が押し寄せる大都会。
この家族だけでなく、初めて都会を目にした田舎者にとって「これが都会か」と浦島太郎のような時代に取り残された感触が蘇ります。)

そのとき長女の早苗が熱を出し、弱ってしまう。
急ぐ精一を民子は説得して上野で一泊することにした。

(宿が決まるのを待つ間、祖父と孫が上野公園を散策する。
上野公園が変わっていないことに驚き。
出店で豚まんを貰った孫に「乞食のマネをするな」と教育する祖父が良い。
忙しい親に代わり、心の躾を祖父母が行っていた昔。核家族が多い現在、こういうことがないなぁとシミジミ思う。)

夜中で病院はやっておらず、3軒目の医院で診てもらうと手遅れと言われ、間も無く早苗は死亡してしまう。

(思えば、麻疹や流行病で幼くして子供が死ぬという事が当時はまだありました。
救急搬送がまだ一般的ではない時代。
幼い私も熱を出し、母の背中に掴まって夜に病院に行った覚えがあります。)

悲しむ一家はカトリック教会で葬儀を行い、早苗を火葬場で火葬して遺骨と一緒に東北本線に乗り、青森では青函連絡船に乗り換える。

青函連絡船の中で落ち込んだ民子は島へ帰りたいなどと言い出す。
単身で行けば早苗の不幸はなかったと愚痴を言う。
精一は俺のせいかと怒る。
言い争いになり甲板に出た精一の目にも涙がにじむ。

(函館に着くと街には当時はやっていた森進一の「港町ブルース」が流れている。あの頃、演歌が身近でしたね…。)

標津線の車窓の景色はまだ雪景色。
夕方になると寒さも厳しくなる。
中標津駅に着いたが、知り合いの亮太(塚本信夫)は、牛の出産があり、代りの人が自動車で駅に迎えに来た。
4人は乗り込み、車に身を任せた。
亮太の家に着くと4人は、疲労困憊で玄関に座り込んでしまう。

翌朝、寝坊した民子がカーテンを開けると亮太が牛の世話をしている。
早速、住まいに案内してもらうと、そこは以前、離農した人の住んでいた住宅だった。

(新生活への不安を住む家だけで表現するのが素晴らしい。)

その晩、近隣の農家の人達が歓迎会をしてくれる。
源蔵は機嫌よく炭坑節を歌ってみんなの喝采を得る。
しかし、翌朝民子が源蔵の様子を見るとすでに亡くなっていた。

(まるで到着を見届けて、安心したかのような死。今後厳しい開拓生活を強いられるよりは…良かったのかも知れません。)

精一は北海道に移住する代償に娘と父親を犠牲にしたことを悔いた。
そんな精一に民子は慰め、励ます。
精一は早苗と源蔵の十字架を建て、神父さんに弔ってもらう。

北海道に移住し、二か月が過ぎた6月。
仔牛が誕生し、精一は牛の所有者になる。
そして民子にも新しい命が宿る。
一家の新しい生活に希望を感じさせて映画は終わる。


この映画は民子三部作の一つと言われています。
民子三部作というのは、小津安二郎の紀子(原節子)三部作の影響でしょうか?

山田監督は映像表現よりも、役者の演技を上手に引き出し、心理描写が巧みな監督だと思います。

小津監督のように構図やカットで意外性を感じさせる演出ではありません。

小津監督は家族の崩壊というテーマが多いですが、山田監督は家族の幸福とはなにかを追及しています。

小津作品よりも内容は分かり易く、娯楽性もあるのです。

この作品の驚くべきことは
家族の生活を旅になぞらえていること。

本来なら、何年も長い期間をかけて描かれるべき家族の変化と心情を、旅の道中で一気に見せる。

家督相続の問題、親の介護問題、子どもの躾、家族の死、夫婦の気持ちのすれ違いと和解などなど。

人物の描写と出来事が生々しいため、ドキュメンタリータッチと評されますが、私は労働者を題材にしたプロレタリア文学を読んだような気持ちになりました。

重厚であり、目的地に到着した家族同様、観た後はどっと疲れてしまう。
しかし、立ち止まっては居られない。
新しい生活はいやおうなしに始まる。

年末の帰省と新年からの新生活への意気込みと重なる映画でもあります。

今年は平成最後の年。
時代を振り返る意味でも、決して見て損はない作品です。
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