マティス

コット、はじまりの夏のマティスのネタバレレビュー・内容・結末

コット、はじまりの夏(2022年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

コットの「スタンド・バイ・ミー」



 心温まる作品。ひと夏の経験を通じて、成長し、自分の居場所を見つける女の子の話。奇をてらうことなく静かに進んでいくストーリー。最後の演出に心が救われた。

 自分という存在を認めて欲しい。それは大人も子供も同じだ。でも、コットのことを、家でも学校でも、親も級友も関心さえ持ってくれない。関心を持ってくれないばかりか、疎んじたり、いじめの対象だ。彼女には居場所がない。
 内向きになり、心を閉ざしてしまった彼女は、言葉を発するのも不自由になる。アイルランド語の授業でもうまく朗読出来ない。級友はスラスラ話せるのに。自分が傷つかないように、次第に外界からの刺激に反応することをやめてしまう。
 しかし、そういう場合、内面が鈍るのではなく、逆に研ぎ澄まされる人たちがいるように思う。一見ぼーっとしていて取っつきにくい。何を考えているのか窺い知れない。でも内面は泡立っている。人の挙措に敏感になっている。そんな人の一人がコットだったと思う。
 静かな子、大人しい子と呼ばれている子供のうち、どれだけがコットのような子なんだろう。ほとんどがそうなのかも知れない。

 母親の出産が近いことを理由に夏休みの間、体よく親族の家に追い払われたコット。そこでアイリン夫婦に会った。
 車から降りようとするコットに、膝を折って目線を合わせて話しかけてくるアイリン。うまい演出!今まで経験したことがない接し方をしてくれるアイリンとショーンに徐々に心を開いていくコット。

 物語は静かに進んでいく。
 知らない人が見たら、実の親子のようなアイリンとコット。アイリンは、「家の中に秘密があることは恥ずかしい」と言う。自分の来し方を振り返るコットには、その言葉が胸に響く。しかし、そう言うアイリンには、実は大きな秘密があった。
 その衝撃的な秘密を知ったコットを、ショーンは夜の浜辺に誘った。
 「沈黙は悪くない」と言うショーン。相矛盾するようなアイリンとショーンの言葉。しかし、成長し始めているコットは、どちらの言葉も正しいことが分かる。同時に、アイリンの悲しみの深さも理解する。遠くに見える漁火に輝く船は2艘だと思っていたが、3艘だった・・・。

 ラジオから流れる百貨店のCMは、新学期が近いことを伝えている。いたたまれなくて、思わずラジオを消すアイリン。3人の気持ちは同じだが、誰も言い出すことはできない。そこで起きた事故。おそらく夫婦が息子を失った事故と同じだ。

 アイリン夫妻は、実家にコットを送り届けるが、アイリンは車から降りることさえできない。直前の事故がなければ、アイリンは言うつもりだったのに・・・。
 やがて来る別れの時。走り去る夫婦の車を追って思わず走り出すコット。コットに気づいたショーンは、コットを思いきり抱き締める。向こうから実の父が追ってくる。コットは呟く、「ダディ、ダディ」。



 この作品はオープンエンドになっている。その後のコットのことは、観客が想像する作り。それを読み解くには、最後にコットが発した言葉が誰に向けられた言葉かを考える必要がある。
 あの言葉は、ショーンに向けられた言葉だったと思う。あの後、コットはショーンとアイリン夫妻に引き取られて、新たな生活が始まったのではないだろうか。
 邦題はそのことの暗喩だし、エンドロールで流れた農場の朝を想像させる環境音も、コットの新たな生活を想像させる。

 原作は「Foster」だそうだ。fosterは養育者。映画化した原題は、「The Quiet Girl」。それを「コット、はじまりの夏」という邦題にした。
 原作を読んでいないので分からないが、もともとの原作はアイリン、ショーン視線だったのを、脚本化した時点でコットの視線に変えたのだったらうまくいったと思う。

 私には、「スタンド・バイ・ミー」のゴーディーのように、大人になったコットが、自分が変わるきっかけとなったあの夏の出来事を思い出すような、そんな物語のように感じられた。
マティス

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