マティス

落下の解剖学のマティスのネタバレレビュー・内容・結末

落下の解剖学(2023年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

夫婦でいることの幸せとは


 興味深く観た。
 「落下の解剖学」という、何やらひどく真面目で学術的とさえ思える題名は、この作品にぴったりだった。上辺だけを見ていても分からない夫婦関係の奥底を、腑分けして覗き込んで、そこにあるものをじっと見つめる。そこにあったのは容赦のない事実だった。

 落下とは、主人公の夫サミュエルの落下と、もう一つ、夫婦関係が破綻して落下している様子も表している。この二つの落下の様子が、法廷で妻であり小説家である主人公サンドラと亡くなった夫サミュエルの立場で説明される。でも、サミュエルは亡くなってしまっていていわゆる死人に口なしだから、検事がサミュエルになり代わって彼が主張するだろうことを主張する。

 夫の落下の現場を見た者はいないので、裁判官も陪審員も観客も、それぞれの主張を吟味して、真実は何かを想像するしかない。妻が証明しようとするのは、自分は夫を殺していないということ。手すりの高さから事故は考えられないので、それはすなわちサミュエルが自殺したということを意味する。
 一方、検事が証明しようとするのは、サンドラがサミュエルを殺害したということ。
 つまり、妻が無実を勝ち獲れば、それはすなわち夫が自殺していた、夫が壊れていた(壊れていたという表現が適切でないことは分かっているがあえて)ということになるし、妻が有罪になれば、妻が夫を殺した、つまり妻が壊れていたことになるという、いずれにしても救いようのない結論が導かれるというやるせないストーリーになっている。
 さらに加えてその判定を、監督であり脚本を書いたジュスティーヌ・トリエは、二人の一人息子に負わせるという展開にして、念入りに、あるいはたたみかけるように観る者を過酷な状況に追い込む。


夫婦でいることの幸せとは

 この映画は、ミステリーやサスペンスではなく、人間の深い部分をえぐるヒューマンドラマだった。主人公は夫を殺したのか、真相はなんだったのかを追った作品ではない。夫婦のカタチを問いかける作品だ。

 裁判でサンドラは自分を守るために、サミュエルに問題があったことを証明しようとする。検事は、サンドラにこそ問題があったと証明しようとする。そこで登場したのが、死ぬ前日にサミュエルがこっそり録音していた夫婦喧嘩の音声だ。

 二人が言っていることはそれぞれの立場で考えると、間違っていないように思われる。でも、夫婦関係は落下している。それぞれは正しいはずなのにうまくいかない、何故?

 それは、二人が二人とも、相手が正しいかもと思えないからではないだろうか。もっと言ってしまうと、相手の幸せは自分の幸せだと思えないからではないだろうか。

 夫婦でいることの幸せとは何なんだろう。そんなことを考えさせられた作品だった。
マティス

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