マティス

枯れ葉のマティスのネタバレレビュー・内容・結末

枯れ葉(2023年製作の映画)
3.2

このレビューはネタバレを含みます

ヘタウマ? ううん、違う気がする



 6年ぶりにカウリスマキ監督が戻ってきた。引退宣言を撤回しての作品だったので、どんな作品だろうかと期待して観たが、安定のカウリスマキ作品だった。
 そしてあらためて私が分かったこと、それは残念ながら私には、カウリスマキ監督の作品を楽しむ感性を持ち合わせていないということ。

 彼は巨匠と呼ばれているし、ファンも多い。私がフォローしている方たちの評価も高い。きっと私が感じ取れていないこと、見落としていることがあるのではないかと観てから数日考えてみたが、やはり私には彼の作品にあるだろう良さが分からなかった。映画が好きな人が一生懸命撮ったという感じ。

 彼の作品をたくさん観てきたわけでもないが、彼の作品に共通していると私が感じているのは次のようなこと。
 役者はセリフが短く、多くを語らない。演技もしないし、無表情。ストーリーはシンプル、男女が心を通じ合わせていくといった作品が多いと思うが、なぜこの男とこの女がくっつくのかがよく分からない(その男と女のもつ真の魅力が伝わってこないままに、かなり思い切った決断をしてしまう)。結末が予想できる。取り上げる人物がステレオタイプな低所得者層。同じようなカメラワーク、色彩。セリフの代わりに語るのが音楽。などなど。
 
 彼はこの作品の中で、小津に対してささやかな敬意を捧げたと言っている。たしかに二人は市井の人を描いたという点は似通っているが、しかし取り上げる人物に大きな違いがあると思う。
 以前のレビューで、是枝監督は、まともに子育てをしない親子関係を物語の出発点にすると書いたが、カウリスマキ監督も低所得者を主人公にすることを共通の物語の出発点にして、人の心の機微を描いている。そういう人物を主人公にすることによって、観る者があらかじめある種のイメージを持つことを期待しているように見える。
 小津は違うと思う。彼の作品に登場する人物は市井の人だが、それぞれ背景が違う。作品を観ていく中で、観る者は主人公の心の中を想像していく。例えば、「晩春」と「秋刀魚の味」は同じく娘を嫁に出す父親を題材にしているが、二つの作品の登場人物の背景も、作品を通しての感じ方は違う。しかし、カウリスマキ監督のこの「枯れ葉」と「真夜中の虹」、「パラダイスの夕暮れ」は私には同じ作品に観えた。時代が変わっても、変わらない作風というのがカウリスマキ監督の魅力なのかも知れない。

 カウリスマキ監督の作品は、作品のみならず作品を観た者の感想まで、予定調和の中にあるように感じる。もっと言うと、同じような感想を強制しているようにさえ感じる。描いている人たちは低所得者であったり、移民であったりしていて、その人たちに優しい眼差しを向けることに対して異論を挟むことはできない。低所得に喘ぐ人たちを救わなければならない。それはいい。でも、ひどく悩んでいる人は、普通に働き、頑張っている人たちの中にも社長にもいる。仕事中に酒を飲むものは、心に痛手を負っているのだろう。でも、そんな描き方は安直だと思う。

 私の心が狭いからだろう、彼の作品には私が嫌悪するポリコレ的な匂いを感じる。ポリコレが嫌いなのは、彼らの主張とは裏腹に、一方的に彼らの信じる価値観を押し付け、表現の自由を制限するから。しかし、このポリコレ的な匂いは進歩的な文化人、マスコミには受けが良い。

 少し前に日本マクドナルドが製作した「特別じゃない、しあわせな時間」というアニメのCMが欧米の「一般」の人の間で話題になった。
 ただマクドナルドで食事をする両親と子供を描いたものだが、いわく、「悲報:日本マクドナルドが作った広告がアメリカのそれと違って奇妙で異常なアジェンダを押し付けていないことに人々が驚愕している」、「欧米じゃこんなマクドナルドのCMはもう見れない、最後に見たのは90年代とかだと思うわ」、「日本マクドナルドは伝統的な家族観を素晴らしいものとして描いている、ここ欧米ではそんな価値観は冷やかな目で見られるというのに。」
 欧米では、行き過ぎたポリコレに対しての嫌悪が、少しずつあからさまになってきているように感じる。
 最近のディズニーの作品はどれもポリコレ的だと、「一部」で強い批判というか不満があるが、この批判も日本マクドナルドのCMに対する反応と同根だ。
 しかし、芸術家のある人たちや進歩的文化人と呼ばれる人たち、マスコミなどは、十年一日のごとくポリコレに縋っているように見える。

 カウリスマキ監督の作品は、残念ながら私にはあっち側の作品に思える。上辺だけでさらっとしている。そこまで深く考えていなくて、ただ一心不乱に撮りたい映画を撮っただけなのかも知れないとも思う。

 イラストなどの作品を観て楽しむ際に、「ヘタウマ」という言い方をする時がある。一見ヘタのように見えるが、実は計算されていたり、何か惹きつけるようなものがあって本当はウマい、というようなときに使う。湯村輝彦やみうらじゅん、しりあがり寿などの作品がそう言われることが多く、私も好きだ。絵画で言うとアンリ・ルソーもそうかも知れないし、私の中では勝手にピカソなんかもその括りに入っている。もしかしたら、カウリスマキ監督もヘタウマなのかなとも考えてみたが、でもやはりどうもそうは思えない。


 最後に。
 今までの話と全く関係ないのだが、なんで「枯れ葉」が「fallen leaves」なんだろう。「fallen leaves」だったら、「落ち葉」だと思うのだが。この作品の中で流れた「枯れ葉」は、ジャズのスタンダードになっていて、私が好きなナット・キングコールもビル・エヴァンスもマイルス・デイヴィスもこの曲を演奏している。曲名は「autumn leaves」だ。
マティス

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