マティス

暗殺の森のマティスのネタバレレビュー・内容・結末

暗殺の森(1970年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

 映画館で観れてよかった。

 何と言ったらよいのだろうか。強い作品とでも言ったらよいのか。凝った構図と色彩、出てくる建物はとんがっていて何かがあると思わせる。若くしてこの作品を撮ったベルトルッチの意気込みが、画面のそこかしこからビンビン伝わって来て、気圧されそうになる。彼の人間の本質に対する問いかけにたじろいでしまう。大げさではなく圧倒された。

 ベルトルッチが見せてくれる映像は、カチッとしていて隙がない。それだけに、主人公マルチェロのグダグダ感が対照的に際立つ。
 政府機関や父がいる精神病院をマルチェロが訪れる場面では、パースペクティブな視点を多用して、マルチェロの存在としての小ささを印象づける。精神病院にいる父も、声高にひとしきり持論をぶつが、暴れるわけではない。おとなしく自分から拘束着に袖を通す。俺はこの父の血を受け継いでいる。情けない自分。弱い自分。
 マルチェロは分かっている、自分がちっぽけな人物であることを。でも、もがかずにはいられない。正しいものを求めながら、それを得られないもどかしさ、焦燥、弱さ、ベルトルッチがこの作品で描こうとしたものが、マルチェロを通して伝わってくる。
 しかし、正しさ、いや強さかも知れないが、それを追求できない存在は、マルチェロだけなのだろうか。それは人が抱える本質的なものではないだろうか。それがベルトルッチの問いかけだ。

 マルチェロが求めたのは普通であるということ。正常であるということ。彼はそのために結婚をし、秘密警察に入った。自分は少年の頃の忌まわしい出来事に囚われてはいるが、ホモでは断じてないし、思想的にも国家に貢献する一級の人物だというわけだ。
 しかし、それらは表面的なことであって、言わば名刺や肩書やアクセサリーみたいなもの。彼の内面が発露したものではない。部下のマンガニェロには見透かされているが、彼は強面に振舞うしかない。暗殺するように命令を受けたクアドリ教授の、美しく謎めいた妻アンナと出会うことによって、彼の内心はますます動揺する。彼は矛盾を抱えていて、いつ崩壊してもおかしくない。

 ラストシーン、画面は急展開する。ムッソリーニが退陣することを淡々と報じるラジオ。自分が正しいと信じていたファシスト運動が頓挫し、街には新しい風が吹き始めている。小心者のマルチェロは、かつての同志イタロに会うのも気が進まない。そこで、少年の頃自分に悪戯しようとしたので殺したと思っていたリノが生きていたことを知る。愕然としたマルチェロは咄嗟に、クアドリ教授を殺したのはこの男だと周囲に叫ぶ。返す刀で、ここにファシストがいるとイタロを売る。彼には信念などなく、大事なことは、ただ自分がどう見られ、どうすれば自分を守れるかだけ。クアドリ教授殺しは出世のために仕方がなかったと言う妻ジュリアの方がよほど腰が据わっている。ジュリアのことは、中流階級の小娘だと馬鹿にしていたのに。

 ハンナ・アーレントはアイヒマンを評して、悪の陳腐さと呼んだ。稀代の悪人と思われたアイヒマンは、どこにでもいるような男だった。
 マルチェロは特別な人間ではなくどこにでもいる人間だと、もっと言うと、彼はあなただとベルトルッチは言いたかったのではないだろうか。



 私が勝手にベルトルッチのファシズム三部作と呼んでいるのは、この作品と「1900年」「ラストエンペラー」。その中で、この作品が一番好きだ。
 同じイタリア人のヴィスコンティは、ドイツ三部作と呼ばれる「地獄に堕ちた勇者ども」「ベニスに死す」「ルートヴィッヒ」を撮った。この三部作の共通のテーマは人間の狂気だと思うが、その狂気は、一作目の「地獄に堕ちた勇者ども」で明確にファシズムとの関連で描かれている。ほぼ同時期に、イタリア人の巨匠二人がファシズムを題材に選んだことが興味深い。彼らは、描かざるを得なかった責務のようなものを感じていたのではないかと思う。

 小説は処女作がなかなか超えられない壁になるという。それを成し遂げた者が手練れになる。徐々にうまくなるのは並の表現者。名匠は出だしから違う。若くしてこの作品をものにしたベルトルッチは、そういう人だったのだろう。


 ちょっと引っかかっているシーンがある。クアドリ教授がめった刺しにされて殺された場面、恐怖に駆られたアンナは車の窓ガラス越しにマルチェロに助けを求める。マルチェロは身じろぎもしない。彼は助けてくれないと悟ったアンナは、泣き喚きながら森の奥へと逃げていく。追うマルチェロ。彼は何発も銃を撃ち、アンナを殺す。
 しかしこれでは、クールで完璧な美を備えていた女の死には相応しくないと思う。私が脚本家なら、車の窓越しに蔑んだ表情でアンナはマルチェロを見下し、ペッと唾を吐きかけさせるのに。そして超然と死を受け入れる。そうすれば、マルチェロに、自分は侮蔑されるべき存在だと新たなトラウマが刻み込まれただろうに。
 しかし、正しさなどはどこにもないというベルトルッチの主張があるからこそ、あのアンナが最後に崩れてしまうのは、作品としては必然だったのかとも思う。
 感覚を刺激してくる作品は、観終わった後も頭の中をぐるぐると思いが駆け巡る。
マティス

マティス