マティス

哀れなるものたちのマティスのネタバレレビュー・内容・結末

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

ベラが体現したもの

 何かここが良かった、ということではなくて、原作も(読んでいないがたぶん笑)、脚本も、監督も、俳優も、カメラも、美術も、音楽も、そしてこの作品を世に出すやり方もどれも良くて、それらがトータルで独特の世界観を作っていた。最初はだらだらと観ていたが、途中からどんどん原作者アラスター・グレイと監督ヨルゴス・ランティモスが描き出す世界観に惹き込まれた。

 カラダは美しい大人の女性のカラダ、でも、精神は子供。後に婚約者になるマックスがぽろっと言っていたが、下手するとグロい監禁モノになりかねなかった。それを、希望を感じる作品に仕立てたのは、原作者アラスター・グレイの手腕だ。
 彼が仕掛けた転機は、ゴッドウィンがベラに、ダンカンについていくことを許したこと。手塩に育てた子供を、よりによって女を欲望の対象としか見ないダンカンに委ねるか。
 あなたは出来ますか?と問われると、ハイと答えるのは難しい。でも、より高みに行くためには、今まで知らなかったことを自ら経験するに勝るものはない。それは賭けとも言える。ボロボロに落ちていく可能性の方が圧倒的に高いように思えた。
 観ている者のそんな心配をよそに、ベラはダンカンを翻弄し、次々と因習を打破し、新たに学んで成長していく。彼女が因習を打破できたのは、彼女には先入観も予断もないからだ。前からそうだった、決まっていたことだから、ではない。自ら見て、体験し、判断する。好奇心が人間の形をしているようなベラは、際限なくそれを繰り返す。そうしてどんどん成長していく。まるで、ディープラーニングのようだ。蘇生する前の自分を死に追いやったかもしれない夫と、マックスとの結婚式を中断してでも暮らしてみて、彼を実感する。それぐらいベラは、実践することを徹底する人物として描かれていた。

 この作品を観て、解放とか自由を連想する人が多い。それが間違っているとは言わないが、もっと大事なことがこの作品に込められていたと思う。
 大事なそれ、ベラが体現したものは、人間の中には自然に善なるものが備わっている、他者のために生きるということだと思う。ベラが人の痛みを知り、人の役に立ちたいという気持ちを、他人から強制されるのではなく、自らの心の中に自ら育てていく様子が描かれていた。

 この作品の最後で、ベラとマックスは結婚することを決める。「私は娼婦だった。それでも私を愛してくれますか?」ちゃんと憶えていないが、ベラの求愛の言葉はこんな感じだったと思う。「愛します」と受けたマックスも美しい。大切なことは、過去ではなく、先入観もなく、今のありのままのその人を見る、ということなんだろう。
 それは、一切合切を含めてその人を愛することができるかということ。何か欠点があったとしても、それを許すということではない。許すという行為は、対等ではない関係を類推させるから。許すというよりも、自分自身が受け入れるという感じ。

 ベラがマックスにそう言えたのは、自分が経験したこと、たとえそれがどんなことであっても、自分がそうしたい、そうしなければいけないと思って経験したことを恥じない、自分の成長のために必要なことだったと確信する。そんな姿勢がベラにはあったからだ。
 ベラは結婚し、世の中の役に立ちたいと、外科医を目指すことを決心する。ちょっと風変わりな外科医なのは、原作者の茶目っ気だ。
 リベラルに偏っている人たちの結婚に対するイメージは、自由とか解放とは対極にあるもののように捉えているんじゃないか。この作品を、自由や解放の象徴と捉えるのは早計だと考える所以だ。
 いつも言うが、彼らの奥底にあるもの、それは自分だけが大事ということ。この作品はそんな考え方とは一線を画している。


エマ・ストーンがプロデューサーになったこと

 しかし、文字通りエマ・ストーンの体当たりの演技には驚かされた。
 彼女はこの作品のプロデューサーにもなっているが、自分が惚れ込んだこの作品を観て欲しいという気持ちが募ると、ここまで役に打ち込めるのか。
 原作を読んで映画化したいと原作者を説き伏せたのは、ランティモス監督だが、彼はエマ・ストーンに声をかけ、主演どころかプロデューサーにまで引き込んだ。その気にさせた監督とお金を出すまでのめり込んだ主演俳優が組んだ作品だ、面白くないはずがない。製作会社が、低予算で名高いサーチライトピクチャーズというのがまた良い。
 最近の俳優の高額報酬に驚くが、彼らがそのお金を、自らがプロデューサーになって、自分が気に入った作品を世に出すために還流させる、なんならその作品に出演する、のは素晴らしいと思う。ブラッド・ピットしかり、トム・クルーズしかり。これこそ好循環だ。良作もあれば駄作もあるかも知れないが、そんな評価は二の次で、大事なことは、様々な人がチャレンジし、還元するルートが出来ることだと思う。大谷が全国の小学校にグローブを贈ったのも同じようなこと。



 「フランケンシュタイン」は悲しい小説だったが、同じ人造人間が主人公なのに、この作品は希望を持てる作品だった。「フランケンシュタイン」のあの怪物は、パートナーを求めたのに博士がそれを創造しなかったことから堕ちていった。
 ベラは違った。ゴッドウィンがそれを導いた。それが親というものなのか。
マティス

マティス