マティス

オッペンハイマーのマティスのネタバレレビュー・内容・結末

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。」(パウロ ローマ人への手紙)


 人間という存在の危うさを、改めて考えさせられた作品だった。存在の不可解さと言った方が良いかも知れない。

 クリストファー・ノーラン監督は、タイムマネジメントを上手に使ったエンターテイメント系の作品を得意とする監督だと思ってきたが(「ダンケルク」は私にはつまらない作品だった)、この映画の素材として興味を惹かれる人物を発掘して、魅力的な伝記作品を撮った。


 オッペンハイマーは「原爆の父」と呼ばれる科学者で、彼が研究、開発を主導して兵器としての原爆を産み出した。ノーラン監督は、3つの時間軸、オッペンハイマーの現在進行形の人生、ストローズの商務長官就任を詮議する公聴会、オッペンハイマーのスパイ容疑の聴聞会を巧みに絡ませて、オッペンハイマーの人物像、特に内面を浮かび上がらせた。ノーラン監督の手腕は素晴らしい。

 そこに現れた人物はどうだ。頭は最高に良いが、女性にだらしがない。共産主義に共感を示すものの、弟や友人と比べるとどこか中途半端な人間。その中途半端さは、彼の上昇志向が、そこまで踏み込むとやりすぎだぞ、政府関係の仕事に携われなくなるぞというようなアラートを出しているからなのか、そもそも現代の日本のリベラルのように、上辺だけの正義を装ったものなのかは、判然と分からない。そんな人物がそこにいた。

 彼は、長く不倫を続けていたジーンが自殺すると、妻キティの前で「俺が殺したんだ」とめそめそと泣き出してしまう。キティは言う、「罪を犯しておいて、同情しろと?」
 このキティのセリフは、この後起きるオッペンハイマーが作り出した原爆が、何万人もの日本人を殺してしまう惨事の伏線だ。

 弱っちい彼は、彼が作り出した原爆で何万人もの日本人を一瞬にして殺してしまう。ジーンは二人の関係を悩み抜いたかも知れないが、一瞬にして溶けてしまった人たちは、大切にしていた家族のことを思う間もなかった。一人の女性が死んだだけで動揺する男が、職務とあらば何万人もの人を一瞬にして殺してしまう兵器を作り出す。なんという理不尽さ。これが同じ人間が為すことかと思う。人間という存在の危うさ、不可解さを、オッペンハイマーという人物を通してノーラン監督が噴出させている。

 「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。」というのはパウロの言葉だが、私にはオッペンハイマーがそのままの人物のように見えた。

 エミリー・ブラント演じるキティ、ラミ・マレック演じるヒルの存在に、希望を持てた。


 どんなに想像力が豊かでも、どんなに感受性が強くても、何万人もの罪なき人を殺してしまった、これから世界中の人を恐怖の淵に引き込む端緒を開いてしまったと慄くオッペンハイマーが抱えた苦悩を、彼以外の人間が感じることはできない。しかし、クリストファー・ノーラン監督は、オッペンハイマーという実在した人物を取り上げることによって、私たちが人間について改めて考える機会を作ってくれたと思う。

 この作品は、ノーラン監督にとって、ベルナルド・ベルトルッチ監督の「ラスト・エンペラー」のような作品なのかなと思う。巨匠と呼ばれるような領域に入ってくると、このような伝記作品を撮りたくなるのだろうか。実在の人物の苦悩は、フィクションではないからこそ監督の手腕如何で観客ものめり込める。監督の腕の見せどころだ。
 どちらの作品も、偶然にしろ日本が関連しているということに不思議さを感じる。



 この作品の中でもあったが、原爆を日本に落とすことによって、何万人ものアメリカ兵の命が救われた、本土決戦がなくなったことによって、日本人の命も救われたという説について触れておきたい。

 天皇は、広島に原爆を落とされる前の6月下旬に戦争終結の決意を政府、軍の首脳に述べている。そこで日本はあろうことかソビエトに終戦の仲介を頼もうとした。しかし、すでに2月のヤルタ会談で、アメリカ、イギリスに対日参戦の約束をしていたソビエトが仲介に動くはずもない。ソビエトは日本に対して領土についての野心を持っていた。
 日本はアメリカとの講和の道を探ろうとしたが、アメリカが当時日本に示していた無条件降伏を受け入れることができなかった。

 今、当時のことを考察すれば、無条件降伏でも良いから早く終戦していれば原爆を落とされずに済んだのにという人もいるだろう。しかし、当時の政府も軍も無条件降伏を受け入れることはできなかった。おそらく彼らの脳裏に浮かんでいたのは、第1次世界大戦後のヴェルサイユ条約によるドイツへの仕打ちだったと思う。
 途方もない賠償金を課せられ、領土を割譲され、終戦前にヴィルヘルム2世はオランダに亡命していたが、ドイツ帝国は解体させられた。ヴェルサイユ条約に対するドイツ人の恨みがナチスを生み、ヒトラーを世に送り出した一因だと私は思う。
 日本にとっては、天皇制を放棄する選択はなかった。戦後どういう体制になるのかがはっきりしないまま、降伏することはできなかった。
 日本のそんな事情をアメリカは分かっていた。そして、戦後日本が混乱なく再建を進めていくには、天皇の存在が必要だということも、当時からアメリカは理解していた。だからアメリカ政府、軍の中に、日本に対して天皇制の維持を認めると伝えて、早期に終戦を図るべきだという意見が多くあった。それを認めなかったのが、トルーマン大統領とバーンズ国務長官だ。二人は原爆を完成させ、原爆を落とすまで日本を降伏させるつもりはなかった。それには、日本に対して天皇制をどうするかをあいまいにさえしておけば良かった。

 二人が日本に原爆を落とすことにこだわったのは、原爆の威力を見せつけることによって、戦後ソビエトに対して優位に立てると考えたからだ。
 記録で確認できるだけでも、軍や政府の高官が10回以上、トルーマン大統領に対して日本に天皇制の存続を認めることを伝えて、終戦を図るべきだと進言している。それでもトルーマン大統領は、進言を受け入れることはなかった。そして、広島、長崎に原爆が落とされた。それが歴史の真実。

 この作品を観れば、多くの罪もない女性、子どもたちの上に原爆を落とした者が、誰も罪に問われなかった東京裁判が、茶番劇であったことが分かるだろう。

 当日の死亡者で言うと、東京大空襲の犠牲者の方が、広島、長崎よりもずっと多い。こちらも罪に問われた者はいない。それどころか、東京大空襲の指揮を執ったルメイ将軍に、戦後日本は勲一等旭日大綬章を贈っている。航空自衛隊の育成に貢献したという理由で。旧日本海軍出身の源田実が画策したと言われているが、噴飯ものだ。でも、現実にそんな日本人がいた。
 通常であれば勲一等旭日大綬章は天皇が授与するが、昭和天皇はそれをしなかった。
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