マティス

ミツバチのささやきのマティスのネタバレレビュー・内容・結末

ミツバチのささやき(1973年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

アナの疑うことを知らない眼差しと怪物の悲しげな眼差し。


 今から50年前にスペインで作られた作品。私がフォローしている方は皆、高評価なので、前から気になっていた作品。映画館で観れてよかった。

 当時の政治事情を背景にしているらしい。ストーリーは比較的シンプルだが、少女を主人公にしているので、セリフもその内容も限られている。その上、少女の空想が入り混じっていて、何をテーマにしているのかは観客の想像力に任せる作りになっている。
 それぞれのシーンは何かを象徴していたり、次の展開のプロローグになっているように感じる。私は少女のつぶらな瞳の奥に吸い込まれるように、作品に惹き込まれた。彼女には純粋な心しかない。想像する私は純粋と対極にいるような人間だ。そんな私に何かを感じることはできるのだろうか。
 政治的なことはよく分からないので、映し出されたことをそのまま受け止めて、感想を書こうと思う。

 この作品は、アナという少女を中心に、家族それぞれの人間模様が交錯するドラマになっている。
 父親フェルナンドは、アナとイサベルの姉妹の父親にしては、年が行っているように見える。継父だろうか。でも、フェルナンドは姉妹におじいちゃんの話をしていたから、若い妻を娶って子を授かったということかも知れない。
 養蜂をしているが、それだけの稼ぎであの大きな家を維持し、家政婦を雇い、妻と娘たちを養っているようには見えない。資産家なんだろう。ミツバチの研究者かも知れない。真面目そうな人物だ。

 若くて美しい母親であり妻でもあるテレサは、姉妹の母親で間違いないようだが、離れ離れになっている思い人(元カレ?姉妹の本当の父親?)がいるようだ。その彼に、会いたいと手紙を出している。内戦か何かの事情で別れて暮らしているのだろうか。心ならずも、フェルナンドの妻になったということなのか。

 フェルナンドは、テレサの気持ちが自分にないことに気づいている。でもそれを咎めたりしないし、表情に出したりしない。大した男だ。
 テレサが先にベッドに入っていて、寝室にフェルナンドが入ってくる気配を感じた場面、テレサは身構えたが、おそらく妻の気持ちを慮り、フェルナンドはテレサに触れようとしなかった。テレサはそんなフェルナンドの気遣いに気づいているが、思い人のことを忘れられない。そんな感じだろうか。
 フェルナンドは立場は家父長だが、テレサを女王蜂と思い、彼女のために尽くす働きバチみたいなもの。夜中にミツバチの習性についての研究論文みたいなものを書いているが、まるで自分に言い聞かせているようだ。妻の気持ちが自分に向くのをじっと待っている。

 アナが住む村に巡回映画がやってくるところから、物語が動き始める。上映されたのは「フランケンシュタイン」。アナは、劇中で何故少女が殺されて、そして何故怪物が殺されたのかが分からない。二人が殺されるシーンがないから、理由が分からないのは観客も同じだ。
 その夜、姉のイサベルに理由を尋ねたところ、怪物は死んじゃいないし、それどころかあの怪物は精霊だと教えられる。さらにその精霊は生きていて、村はずれの空き家にいるとまで言われる。昼間は人間の形をしているが、夜は精霊のままなんだ。純粋なアナはそれを信じる。
 この嘘つきの姉は、後にまたアナを騙す。姉妹なのにアナは姉と全然違う、人を疑うことを知らない純粋な女の子。
 私には息子が二人いる。ある時、あの純粋だった子供たちが、何をきっかけに嘘をつくことを覚えたのだろうと思ったことがある。嘘をつき、猫の首を絞め、自分の血で口紅を塗り、死んだふりをしてアナを騙すイサベルは、何を表しているのだろうか。

 ある日、姉妹は村はずれの空き家に行ってみるが精霊はいない。姉は嘘をついたのだろうか?でも、アナには微かに精霊がいるような気がしている。
 アナが母のアルバムを見ていると、母の写真に「私の愛する人間ぎらいさんへ」と文字が添えられている。フェルナンドが書いたと思われる。フェルナンドはその頃から、テレサの心が少し遠くにあると感じていたのだろう。でも、アナはその言葉に、母は精霊みたいなものかもと想像を膨らませた。
 イサベルに死んだふりをされて騙されたアナ。その日の夜、そっとベッドを抜け出し、一人で家の外に出てみる。目を閉じると、何かが起こりそうな気配を感じる。翌日、一人で空き家に行ってみると、そこには疲れ切った若い男がいた。おそらく脱走兵か犯罪者か何かだが、アナはその男を精霊だと信じた。
 そこから二人の交流が始まる。夜になると冷え込むので、アナは父親のコートをこっそり持ち出し、若い男にあげる。コートのポケットには父親のオルゴール付きの懐中時計が入っていて、二人で耳をすませる。その夜にその男は捜索隊に見つかり、その空き家で射殺されてしまう。
 翌日、警察にフェルナンドは呼び出される。おそらくその男が持っていた懐中時計にフェルナンドの名前が刻印されていたのだろう。フェルナンドにはなぜ彼がその懐中時計を持っていたのかが分からない。家族の誰かが持ち出して彼に渡したのではないか。
 家に持ち帰った彼は、お茶の時にオルゴールを鳴らしてみた。反応したのはアナだった。アナはその時計を父が持っていることに驚き、フェルナンドはアナが何か関係していることを知る。
 急いで空き家に行ってみるアナ。そこには血の跡だけが残っていて、若い男の姿はなかった。父親が彼を、精霊を殺してしまったと思い込んだアナは姿を消してしまう。

 村の者たちがアナを探すがアナは見つからない。その頃アナは、一人で森をさまよっていた。ふと足元を見ると毒キノコらしいものがある。自分の父親が精霊を殺めてしまったと思ったアナは、父親の罪を代わりに自分が贖うつもりで毒キノコを食べた。
 一方その頃、家ではテレサが待っていた返信の手紙を読んでいた。手紙にはもうテレサには会えないと書いてあった。静かに手紙を暖炉で燃やすテレサ。
 この日は、フェルナンドはアナの心を一時的に失いつつあったが、テレサの心が自分に向かって来る転機となった。そんな思いが交錯する日だった。

 毒キノコを食べたアナは空想の中にいた。森の中をさまよっている自分。湖のほとりで水面に映った自分の顔を見ていると、自分の顔が怪物に変わった。背後からアナに近づく怪物。彼の顔はこれ以上ないというぐらい悲しげだ。でも、アナは彼を恐れない。怪物はアナを抱きしめようとする。メアリー・シェリーの原作「フランケンシュタイン」を読んだことがある人は、彼の悲しさが想像できるかも知れない。

 アナは倒れているところを見つかる。アナは昨夜の出来事を思い出し、精霊が死んでいなかったことを知る。それは父親が殺してなかったということだ。家に連れて帰られるが、母親やイサベルが声をかけても返事をしない。
 その夜、いつものようにフェルナンドはミツバチについての論文を書いているが、疲れて途中で机に突っ伏して寝てしまう。そこにテレサが来て、夫にそっと毛布を掛ける。テレサは夫の変わらぬ思いをあらためて感じている。フェルナンドに幸せな時間が近づいて来ている。
 アナは、犬の哭き声で目が覚める。ベッドから降り立ち、窓際に進む。そしてささやく。「お友達になれば、いつでもお話ができる。目をとじて呼びかけるの。私はアナです。私はアナです。」遠くから聞こえてくる汽笛と列車の音。アナは新たな精霊が訪れたことを知った。

 最後のシーンだが、この作品に出てくるミツバチは民衆のメタファーなのか。アナもそのミツバチの一人。ささやきとは先の呪文のこと。辛いことがあっても、信じていれば必ず救われる。神はわれわれを見守っていてくれるということを表しているのだろう。

 原題を直訳すると「蜂の巣の精霊」。あの家の窓の紋様は六角形で、まさに蜂の巣になぞらえていたから、そこに住んでいるアナを精霊と見立てた題名にしている。
 邦題の「ミツバチのささやき」はミツバチをアナに例えて、あの「私はアナです。私はアナです。」の呪文を、ささやきとしたのだろう。アナの純粋さにやられた私は、こちらの方がしっくりくる。アナはそんな優しく純粋で勇気がある女の子だった。彼女はどんな女性になるのだろうか。
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