宮城県気仙沼市唐桑半島 鮪⽴(しびたち)。美しい⼊江を⾒下ろす⾼台に⺠宿「唐桑御殿 つなかん」はあります。100 年続く牡蠣の養殖業を営む菅野和享さんと⼀代さん夫妻は、東⽇本⼤震災当時、津波により浸⽔した⾃宅を補修し、学⽣ボランティアの拠点として開放、半年間で延べ 500 ⼈を受け⼊れてきました。若者たちに「つなかん」と呼ばれたその場所は夫妻の「皆がいつでも帰ってこられるように」との思いから、2013 年の秋に⺠宿に⽣まれ変わります。⼥将となった⼀代さんは、⾃慢の牡蠣やワカメを振る舞い、⼟地の魅⼒を⾃ら発信。そんな「つなかん」に引き寄せられるかのように、次々とこの地に移り住む元ボランティアの若者たち。彼らは海を豊かにする森を育てたり、漁師のための早朝⾷堂を営んだり、移住者のサポート体制を整えたりと、地域に根ざしたまちづくりに取り組み始めます。復興のその先を⾒つめる⼀代さんと若者たち。そんなある⽇、海難事故が発⽣。養殖業を廃業し、閉じこもりがちになった⼀代さんを思い、全国各地から「つなかん」に集まってくる元ボランティアや仲間たち。涙なみだの時を経て、⺠宿は再開。いつしか若き移住者たちは新しい命を授かり、地域を担う⽴場となっていきます。そして、コロナ禍による⺠宿存続の危機の中で迎えた 2021 年3⽉ 11 ⽇。震災から 10 年という節⽬を機に、⼀代さんは⼤きな⼀歩を踏み出そうとしていました。
東日本大震災から6年目を迎える 宮城県、岩手県、福島県で前を向いて生きる人々の姿を優しく映し出すドキュメンタリー。 家族を失った夫婦、震災を風化させないための語り部、伝統を受け継いでいく…
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