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落下の解剖学のShingoのレビュー・感想・評価

落下の解剖学(2023年製作の映画)
3.2
劇場で見るか迷っていたが、アカデミー脚本賞もとったしな…と期待しての鑑賞。しかし、私の趣味にはまったくハマらず撃沈。
つまらないというよりは、どこを楽しめばいいのかわからないまま終わってしまったみたいな。別にミステリーや法廷劇のどんでん返しを期待したわけではないのだけど、では本作の見どころはどこなの?と迷子になってしまった。

ジュスティーヌ・トリエ監督のフィルモグラフィーをみると、「夫婦」を描くことに格別のこだわりがあるようだ。だが、本作のような趣向の映画は、独身者にはピンとこないのではないだろうか。夫婦喧嘩の録音音声によって浮かび上がる二人の関係性も、そこまで意外性のあるものではなく、特に面白みはないように感じてしまった。結婚経験がある方だと、そこに共感できるのかも知れないが…。
これはノア・バームバック監督『マリッジ・ストーリー』が全然ハマらなかったのと同じ感覚だ。

全体の印象としては、『見えない目撃者』+『こたつのない家』という感じか。
『こたつのない家』は、漫画家の夫(吉岡秀隆)が新作を描けないまま13年間ヒモ生活を送っており、妻(小池栄子)はウェディングプランナーとして雑誌の取材を受けるほど名が売れている。
妻が一家の大黒柱というホームドラマなのだが、夫は「僕が妻と離婚するまでの話」を漫画に描き始める。妻は「離婚したくない」と言うが、夫は「じゃあ僕に漫画を描くなって言うの?」と返す。
自分たちの私生活を作品に描くという点が共通しているし、夫が「なんで君は僕なんかと結婚したの?」と疑問に感じている点も似ている。

サンドラと夫が言い争う場面では、妻の言い分に理があるとする観客も多いと思うが、私は夫の気持ちに共感してしまった。むしろ「書けばいいじゃない」と返すサンドラは、相手の気持ちを理解する気が全然ない人間のように見えた。自分は同じ状況でも作品を書いて成功している、あなたが書けないのはあなたの能力の問題だと切って捨てている。
しかし、子どもの世話や家の改装を一手に引き受けているのは夫であり、物理的な負担は明らかに偏っているように見える。

この構図が、男女を逆転させら、サンドラはまんまモラハラ夫じゃないかと思えてしまう。
夫が関係ない昔の話を持ち出したり、自分の気持ちを一方的にぶつける様子は、女性が言いだしそうなことばかりだ(偏見)。それに対し理屈で反論し、「じゃあどうすればいいんだ」と逆ギレするサンドラの姿は男性的と映る。
仕事についてもそうだし、浮気についても「セックスレスなんだから仕方がない」と言い訳し、家事育児の負担も「勝手に一人で背負い込んでいる」と言う。

こうして断片的な状況から分析をしても、それは精神科医の証言と同じで夫婦のひとつの側面を見ているに過ぎないのだろう。だが、作品をメタ的に俯瞰した場合には、やはりそういう夫婦間の齟齬こそ描きたいのだと思うし、さらに言えば監督は「夫婦の愛」みたいなものをあまり信じていないのかも知れない。
夫婦の関係性を腑分けしていったら、その奥にあるのは愛なのか欲望なのか。真実か欺瞞なのか。しょせん人間なんてそんなものでしょ?という監督のシニカルな視線が感じられる。

そんな両親の"負の側面"を見せられて、息子のダニエルは何を証言するのか。何が”真実”なのかわからない中で、家族の行く末を決めなければならない。
よく「人は信じたいものを信じる」と言われるが、ここで問われているのは「どちらを信じるか」ではない。ただ限られた選択肢の中から何を選ぶのかだけが問われる。
自殺にしろ他殺にしろ、きっとその原因は母親にある。それをわかった上で、ダニエルは父と母、どちらかを選ばなければならない。そしてどちらを選んでも、一方を裏切ることになる。
これは単に「母親の無実を証言した」という美談では終わらない話だと思う。

そして、この「落下の解剖学」という映画自体が、実はサンドラの書いた小説なのではないかという疑問も生じる。劇中で彼女は自分の体験をもとに小説を書くタイプだと語られるし、法廷でもそのことに言及される。また、「事実をあいまいにする」のが彼女の作風であるとも語られる。
実際にこういう出来事があって小説を書いたのか、夫の死はフィクションなのか。最後に死んだはずの夫が姿を現して「これは僕の妻が書いた本だよ!」と、にこやかに宣伝するシーンがあってもおかしくない。
そういうオチがつけば、私もすっきりとして劇場を後にできた気がするが、それでは脚本賞は受賞できなかっただろう。
名演をみせたメッシくんのパルム・ドッグ賞だけは納得!
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