Shingo

哀れなるものたちのShingoのレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
3.8
寓話的な物語であると同時に、異様なほどグロテスク。
古典映画的な格調の高さを感じさせながら、露悪的でもある。
映画のラストシーンなどは、ハッピーエンドの「ムカデ人間」という印象すらある。犬と鳥を合体させてるところとかも「つなげてみたい」ヨーゼフ・ハイター博士っぽいし。
ただ、それが不快というわけではなく、むしろその毒っけが心地よい。

本作が「フランケンシュタインの怪物」とその作者メアリー・シェリーを下敷きにしていることは、誰もが気づくだろう。ベラの"生みの親"たるゴッドウィンは”フランケンシュタインの怪物”そのものだし、彼自身がフランケンシュタイン博士でもある。(ゴッドウィンはメアリーの旧姓)
彼は科学者だった父から虐待と呼ぶのも生ぬるい"実験"を繰り返された結果、見るも無残な姿に変えられてしまった。では、タイトルの「哀れなるもの(Poor Things)」は、彼らのことを指しているのか?

むろん、そうではない。ここでいうPoor Thingsとは、この世のあらゆる不正・不平等・不均衡を表しているのだろうし、ベラが後に社会主義に傾倒するのもそのためだろう。
ベラがヨーロッパを横断しながら目にする光景は、世界の苦しみや理不尽のカリカチュアである。そこには他者を支配し、富を独占することも含まれる。
しかし、ベラは自分の金ではなくダンカンの金を全部わたしてしまうし、最終的にはブルジョワな生活に帰っていく。プレシントン将軍の脳を家畜と入れ替え、ほくそ笑む彼女に欺瞞がないとは言えない。

ベラは旅を通じてこの世の苦しみを知るわけだが、それはどこか釈迦の四門出遊を思わせる。出家したシッダールタが、四つの門でそれぞれ「生・老・病・死」の四つの苦を目にするというくだりだ。ベラの場合、「生」は「性」でもあるだろう。
そしてその苦しみは、本質的に解決不能である。船上で出会ったハリーはそのことを知ってるから、理想を語るベラに「現実を突きつけて」傷つけようとする。しかし彼はベラに「その苦しみに耐えられない子ども」だと喝破される。
この「ものを知らない理想主義者に現実を教えてやる」という姿勢は、一種のマンスプレイニングでもある。

その一方で、弁護士のダンカンは「女を弄んで捨てる」という当初の目論見を木っ端みじんにされる。ベラに執着しながら、娼婦となったベラに対し怒りをつのらせる。その怒りの正体は、自分が誰かを「所有しうる」という勘違いからくるものだろう。
これを「男性的な支配欲」とみることは可能だが、本質的には男女を問わないはずだ。「不倫は最悪」と言う主張も、言ってみればパートナーは自分の所有物であるという意識があるのだと思う。
これに対し、マッキャンドレスは「嫉妬はするけれども、君の身体は君のものだ」と告げる。彼はベラに「私を嫉妬させないでくれ」とは要求しない。

本作の物語構造は、かなりグレタ・ガーウィグ監督『バービー』と似ている。無垢な存在だったベラが旅をして現実を知り、自分を確立させていく姿は、バービーがバービーランドの外に出て現実を知っていくのと同じだ。そこで、いい歳のとりかたをしたおばあちゃん(マーサ)に出会うところまで同じである。
ただ、バービーが基本、自立した大人の女性としての自己確立であるのに対し、本作は胎児の脳を移植された「心は子ども、身体は大人」の女性である点が大きく違う。
わざわざそんな設定になっているのは、女性に対して「無垢であれ、無知であれ」と望む世の中を批判するためであるだろう。そこに処女性や聖性が付与されると、さらにややこしいことになる。
元夫のプレシントン将軍がクリトリスを切除する「割礼」を試みるのも、女性から性欲を取り上げるためであり、処女性や聖性を求めるからである。

その処女性や聖性を、本作は徹底的に壊しにかかる。不必要なまでのセックス描写や、ベラが娼婦になるくだりにもそれが表れている。
このアプローチは、先日鑑賞した『ラ・メゾン 小説家と娼婦』にも通じるところがあるように思う。ベラはパリで下船させられた時、ドレスに紙幣が縫い込まれているのを知っていながら30フランのために男と寝る。それはダンカンが「どんな男か」を知るためであり、他の男を知らない自分を「観察対象」として「実験」をするためである。
このように、徹底的に自分を客体化する姿勢、自分の可能性を追求する姿勢が、ベラを成長させていく。
それはとりもなおさず、生みの親ゴッドウィンの生き方そのものだ。

こうしてベラの成長を描き、ビルドゥングスロマンとして成立させている本作であるが、それでもベラを「理想の女性」として描いてはいないと思う。彼女もまた欺瞞に満ちており、他者を支配し自己実現をはかる「哀れなるもの」のひとりであるのだ。
ラストシーンのグロテスクさが、それを象徴していた。

しかしだからといって、本作は冷笑主義に陥ってはいない。
ゴッドウィンは自らの知的探求心に生涯を捧げたが、"娘"とその夫に看取られ穏やかな最後を迎えた。その背中を見てベラは医者になることを決めた。
理想と信念を持って真理を追究すれば、その姿に人は感化され、あるいは己の不明を恥じる。そうやって世の中は少しずつ進歩していくのではないか。
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