Shingo

ボーはおそれているのShingoのレビュー・感想・評価

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
2.8
究極の不条理劇というか、とにかく脈絡のない災難が次々と降りかかってくる3時間。最終幕である程度の種明かしはされるものの、シャマラン映画のようなすっきり感はない。
いや、種明かしを聞いても、起こった出来事は全然説明できてないぞ…。

というのも、おそらく劇中で起きる出来事のほとんどがボーの主観であり、実際に起きている出来事ではないからだ。例えば、浴室の天井に張り付いている男は、実際には蜘蛛が天井にいただけなのだろう。(大量の汗がポタポタ落ちてくる意味不明の緊張感に思わず笑ってしまうが)
彼の日常生活は常にそういう妄想に支配されており、何が現実で何が妄想なのか区別ができない状態なのだと思う。

ボーが恐れていたものの正体はなんだったのか。一見すると支配的な母親がその正体のようだが、必ずしもそうではないようにも見える。
そのヒントはいくつかあって、まず冒頭の出産シーンはボーの主観であり記憶だと思われるが、そこで交わされる会話から父親が出産に立ち会っていることがわかる。つまりボーは「父親が死んだ」というのが嘘だと気づいている。
次に、ボーが受けているセラピーで彼が「母親の死を望んでいる」ということがわかる。そして実際に母親が事故で亡くなったという知らせを受けるのだが、果たしてこれは現実なのか妄想なのか。
最後に、帰宅したボーの前に現れた母親は、どう見ても70歳の老人には見えない。そのことから、母親が亡くなったのは実はもっと前の出来事だったように思われる。

おそらく、母親の死を配達員から聞いたことは事実なのだろう。しかしそれはずっと昔の出来事で、ボーはその事実から立ち直れずセラピーを受けているのではないか。
「母親の死を望んでいた」せいで不幸な事故が起きたと自分を責めており、母親の葬儀にも参列できなかった後悔が、彼を苦しめているのかも知れない。
「早く家に帰らなければ」「でも帰れない」というアンビバレントな思考が妄想の中で具現化し、ついには母親自身が目の前に現れ、ボーを断罪する。

終盤でボーが発達障害であったことがわかる。母親はボーとうまくコミュニケーションがとれず、彼の行動に何度も裏切られてきたことが語られる。しかしそれは、母親自身の言葉というよりは、ボー自身の自己認識が母親の口から語られているように見える。
(発達障害によって親との愛着形成がうまくいかず、妄想的な世界に投入する流れは、ジュリア・デュクルノー監督『TITANE/チタン』と似ている)
最後のコロシアムのような空間で、ボーは自分自身を断罪しているのではないか。
そしてその空間は、まるで死後に地獄の裁判官に裁かれているような印象を受ける。ボーが船に乗って湖に漕ぎ出す姿は、死出の旅路のようでもあった。
もしかすると、ボーが母親の家に帰ろうとする過程そのものが、死出の旅路であったのかも知れない。現実のボーは冒頭の事故ですでに死んでいる、もしくは意識不明の重体となっており、最後に(妄想の中で)母親の葬儀に参列しようとしたのかも知れない。

母親は死んでおらず、すべてが仕組まれていて、登場した人たち全員が役を演じていたというのは、さすがに現実離れし過ぎているような気がする。
青いペンキを飲んで死ぬとか、腹上死した女性の死体が硬直しているとか、屋根裏に子どもの落書きみたいな(チンコの)怪物がいるとか、「すべて母親が仕組んだ」では説明のつかないことが多い。
これらがボーの妄想であるなら、母親も妄想の一部とする方がすっきりするのだが、そこはアリ・アスターの作品だから油断はできない。
ただ、ボーが真に恐れていたのは「母親を苦しめていた自分自身」だったのではないかと私は思う。
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