Shingo

アリスとテレスのまぼろし工場のShingoのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

いろいろ言いたいことはあるからレビューするが、ちょっとスコアはつけられないというか…。なんか難しい。
ジャンル分けできない作品であり、その点では挑戦的ともいえる。SFジョブナイルのようであり、セカイ系のようでもあり、停滞する日本への警鐘、未来ある若者への激励・・・複雑に絡まるこれらを文学的ととるべきか、妄想的ととるべきか迷うところだ。

個人的な印象としては、正直いってちょっとキモチワルイ。
神の怒りか、あるいは憐みかはわからないが、時間の止まった世界に紛れ込んでしまった5歳の女の子を、狼少女のように育てたのが母親になるはずだった少女で、成長した狼少女が恋したのが父親になるはずだった少年。"両親"である二人がキスするのを見て、「仲間はずれにしないで」と嫉妬する"娘"。
大画面で濃厚なキスをする中学生をみせられて、おっさんは何を思えばいいのか。いや、お前のための映画じゃないと言われればそれまでだが、じゃあこれが思春期の中学生に向けた作品かと言われると、それも疑問だ。

舞台は90年代初頭くらいか。
いわゆる「失われた30年」の始まりの時期であり、地場産業が活力を失いつつあった時代。その頃から地方の若者たちは、地元で生きることに閉塞感を覚え始める。ここ10年くらいは、それを題材にした作品がいくつも生まれてきた。
本作はその時代に閉じ込められた人々の物語であるが、これが過去への郷愁なのか、地方の閉塞感を表現しているのか、判然としない。
14歳の少年少女の初々しい恋愛模様が描かれるが、主人公たちと同世代の若者がみれば、自分たちと重ね合わせて共感できるのかも知れない。
しかし、それがどうしても「あの頃はよかった」という大人視点の描写に見えてしまう。
昔を思い出し、若者の気持ちに寄り添っているようで、実はいつまでも大人になりたくない願望、日々年老いていく現実からの逃避のようにも思えてしまう。時間が止まっているという設定が、それに拍車をかける。

その一方で、主人公の二人は"娘"を現実の世界へ送り返す。
自分たちは時の止まった過去の世界へ逃避し、若者世代には「現実を生きろ」と言う。なんとも都合のいい話だなと呆れかえるばかりだ。
もちろん、そういうつもりで作品を作ったわけではなく、「どんな世界にも希望はある」というメッセージが込められているはずだ。だが、世界設定と物語構成がそのメッセージを歪めてしまっている感が否めない。

ちょっと似ているなと思うのは、MCUのスカーレット・ウィッチだ。マルチバースの別アースには、子どもを授かって幸せに暮らす自分がいる。しかし、その幸福は彼女には手に入らない。
スカーレット・ウィッチは別アースの自分から子どもを奪い取り、自分の子として育てようとするが、その結果としてインカージョン(世界の崩壊)が起きる。
自分が生きられなかった世界をどんなに望んでも、そこに希望は見つからない。今いる世界の現実を受けとめて、そこに希望を見出すしかないのだ。

また、新海誠『すずめの戸締まり』との類似点も見られる。
扉の向こうから噴き出すミミズを閉じ込めるために、すずめは扉の鍵を閉じていくが、本作における"神機狼"はミミズを反転させた存在ともいえる。
『すずめの戸締まり』では打ち捨てられた遊園地などが登場し、そこにいまだ息づく過去の想念がミミズとして現れるが、その過去の想念によって生まれたのが本作の「閉じた世界」であるようにも見える。"神機狼"はその念が現実へ浸食するのを防いでいるのかも知れない。

本作は岡田麿里が原作・監督・脚本にクレジットされており、これまで以上に岡田麿里の作家性が発揮されている一本だと思うが、それだけに作風に馴染まない人にとってはキツイところもある。
『さよならの朝に約束の花をかざろう』でも主人公は"永遠の14歳"みたいな設定だったが、そこに少女ノスタルジーとも言うべき願望が見え隠れするというのは、穿った見方だろうか。
逆に、「これがいい」という観客には深く刺さる作品だったのではないか。これからも独自の路線で作品を作り続けて欲しい。
Shingo

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