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オッペンハイマーのShingoのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.0
公開前から何かと物議をかもした本作を、IMAXレーザーで”体験”してきた。娯楽作とは到底いえない、ほぼドキュメンタリーに近い構成。物語性はあるが、それを楽しむ余裕はほとんどなかった。
次々と新しい登場人物が現れ、矢継ぎ早に交わされる会話劇。3つの時間軸が並行して進む演出についていくのがやっとだ。

予め、予備知識を仕入れてから見るのが吉。
それを予想して、Netflixでアインシュタインのドキュメンタリーを見ておいてよかった。なぜ映画の冒頭と最後の超重要な場面にアインシュタインが登場するのか。なぜドイツ系ユダヤ人の彼がアメリカにいるのか。
そういう説明は一切ないから、戸惑う人も多いのではないか。

本作を”反戦映画”と捉える識者もいるようだが、私はそうは思えなかった。あくまでオッペンハイマーの視点から”その時代”を体験し、原子爆弾の実験を体験し、戦争終結に湧く人々の”足踏み”を体験して、観客が何を思うのか。そこが本作の作られた意味だと思う。
嵐の過ぎ去った朝に行われたトリニティ実験では、無音の光の後から遅れて衝撃波と爆音が襲ってくる。ピカッと光った後にドンッと音がする。日本で原爆が「ピカドン」と呼ばれた理由を観客は体感することになる。
これは、漫画「はだしのゲン」を読む以上に直感的と言える。
(これまで描かれた核爆発の場面では『ターミネーター2』が最もリアルだったと思うが、本作はそれを超えてきたと感じた)
そして、実験の成功に湧く人々をみて心が躍る人もいれば、暗い気持ちになる人もいるはずだ。私はこの映画そのものよりも、観客がどう感じたかの方に興味がある。

私が本作を”反戦映画”と思えないのは、結局のところ戦争や原子爆弾の存在そのものを否定も肯定もしないからだ。ただ、判断材料になるものを提示して、観客に解釈を委ねている。
ひとつだけはっきり提示しているのは、核兵器の登場が決定的に世界を変えてしまったという事実だ。それはプロメテウスが神の炎を盗んだことと重ね合わされ、原子の炎は太陽と重ね合わされる。
(まあ、正確には太陽は水素原子による核融合なので水爆に近いのだが)
劇中でオッペンハイマーが「恒星(太陽)は重力に逆らって膨張している」と講釈する場面があるが、「バランスが崩れて重力の方が強まるとどうなるか、それはわからない」と続く。
冷戦も各国の軍事バランスがとれている間はいいが、もしそのバランスが崩れたらどうなるのか。あるいは、誰かが核のボタンを押してしまったら。その先にあるのは破滅しかない。

映画のラストでは、そのXデーがオッペンハイマーの脳裏にありありと浮かぶ。そして、「私は世界を変えてしまった」とおののく表情のアップで映画は幕を下ろす。
しかしこの時点では、まだ原子爆弾の開発には着手しておらず、そのオファーを受けたばかりのはずだ。にも関わらず彼はアインシュタインに未来におきる”結果”を告げ、それを聞いたアインシュタインは憤然としてその場を立ち去る。
ストローズはその様子を見て、オッペンハイマーに対する不信と疑念を募らせる。ここでは、あたかも原因と結果が逆転しているように演出されている。『インターステラー』や『TENET』のような時間逆行が、本作にもなぜか登場しているのだ。
※実はここの場面がマンハッタン計画の前なのか後なのか、ちょっとわからなくて…。鑑賞時は「なんか時系列おかしくない?」と思ったのでその時の感想をそのまま書いておく。

原子爆弾の開発という大きな物語の下で、オッペンハイマー自身の女性関係や、ストローズの恨み節、テラーの嫉妬など個人の感情も繊細に描かれる。特に、妻キティが繰り返し「なぜ戦わないの」と夫に問いかけるのは、この物語において大きな意味を持つように思う。
大学で労働組合を作っても、共産主義の集会と疑われて解散。自身を陥れようとしたストローズと握手もするし、裏切ったテラーのことも許してしまう。しかしキティは彼らを許さない。
握手を求めたテラーを睨みつけるキティの顔といったら…。

「物理学300年の集大成が大量破壊兵器なのか」と問われ、「ドイツより先に完成させなければならない」と返す。それは彼がユダヤ人であり、誰よりもヒトラーを恐れていたからだが、その恐怖心をストローズに利用されてしまったとも言える。
ヒトラーが自殺し、日本の降伏が目前に迫っていても、マンハッタン計画は終わらない。それは、ジーンを失ってなお仕事を優先した以上、今さら後には引けなかったからではないか。
そんな個人的な思いに突き動かされてしまうのが人間なのだろう。

本作では、オッペンハイマーの人間性が何度も反転させられる。天才科学者であり、妻を愛し、恋人を愛し、世界の行く末を憂いながら武器の開発に邁進する。
あたかも量子が確立的に重ね合わさった存在であるのと同じように、いくつものオッペンハイマーが同時に存在している。
劇中では幾度となく「粒子」と「波」のモチーフが繰り返され、人間もまたそれらが重力で固定された存在だと語られる。
ノーラン監督がオッペンハイマーに興味を持ったのは、そんなところにあるのかも知れない。
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