Shingo

デューン 砂の惑星PART2のShingoのネタバレレビュー・内容・結末

デューン 砂の惑星PART2(2024年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

IMAX先行上映にて鑑賞。アメリカ本国では3週間先まで席がとれないみたいな記事もあったが、そんな先まで予約できるの・・・?
ここ日本では前日でも余裕で席を確保できたが、つくづく日本ではSF人気が低い。
しかし、IMAXで見る価値は十分にあった。全編IMAXサイズのリッチさと、座席が震えるほどの轟音で鑑賞してこそ、本作を100%味わえるのだと実感した。

パート1は戦闘描写を含め割と地味な印象もあった。パート2では舞台がほぼ砂漠になり、砂虫も出し惜しみすることなく画面を支配する。ポールが砂虫を乗りこなし、フレメンの一員として認められるシーンは本作のハイライト。
スパイス採掘を妨害するシーンでは、フレメンたちのゲリラ的な戦い方、一瞬の油断が死に直結する緊張感が手に汗握る。
パート1と比べて、はるかに娯楽作として楽しめるつくりになっている。

それは、パート2が主人公側の「攻撃ターン」になっていることも大きいだろう。パート1であれだけ強者感を出していたハルコンネンが、本作ではほとんどやられっぱなし。
物語冒頭からポールがどんどんたくましく成長していき、最後には「倍返しだ!」とばかりに皇帝に土下座させるくだりは、大きなカタルシスをもたらすだろう。

ポールは運命の波にのまれてリサーン・アル=ガイブ(マフディー)へと変貌していく。しかしそれはポール自身が望んだことではなく、フレメンの予言を信じるスティルガーや、アトレイデス家の復興をはかる母レディ・ジェシカの意向によるものだ。
ポールはひとりのフレメンとして、愛するチャニと共に生きていければ、あるいは満足だったのかも知れない。アトレイデス家の嫡男としての責任や重圧から解放され、自由に生きたいと願う。
しかし周囲の期待がそれを許さない。「僕はマフディーじゃない」とポールが言っても、スティルガーは「自分からマフディーと名乗らない。彼は本物だ!」とかえってポールに心酔してしまう。ついには、「そんなの知るか!俺は信じてるんだ!」とポールを追い詰める。

本作では、何かを強く望むものを「強欲」として描く。スティルガーもレディ・ジェシカもハルコンネンも、その意味では同列の存在だ。その強欲さの象徴がスパイスであり、「Power over Spice is power over all(スパイスを制する者がすべてを制する)」という冒頭のフレーズにつながる。
フレメンの生活は、過酷な砂漠に適応した”禁欲的”なものだ。例え死者のためでも、涙一粒すら流すことを許さない。死んだ者からは、敵であろうと仲間であろうと水を絞り出し、再利用する。その水は地下に蓄えられ、渇きで死ぬことになっても決して飲んではいけない。
その禁欲さが彼らの間に格差をなくし、仲間のために生きることを可能にしているとも言える。

しかし結果的に、「スパイスを制した」ポールが皇女イルーランを娶ることで、この内紛は決着を迎える。そのためにポールはチャニと生きる道を捨てることになる。
持たざる者から一気にすべてを制するものに成り代わったポールには、どんな未来が見えているのか。そして生まれてくるポールの妹(アニャ・テイラー=ジョイ)は、この物語にどう関わってくるのか。
パート3の制作はまだ未定だが、早くも続編への期待が高まる。

ただ、本作には若干の不満点がないではない。
砂漠での修行パートが多いこともあり、SF的なガジェットの面白さは後退しているし、様々な言語が飛び交いながら意思疎通する妙味も、ポールがフレメンの言葉を流ちょうに話すことで失われている。
最後の大戦闘も、砂虫登場の出オチ感はあり、かなりあっさりと決着がついてしまった。フェイド=ラウサと決闘は見応えがあるものの、結局彼の見せ場は闘技場での晴れ舞台のみで、敵役として十分に活躍したとは言えない。
ポールとチャニの愛の行方、ポールが救世主として運命に殉じる姿にフォーカスがあたっており、感情移入しやすくなっている反面、SF大作としてのスケール感はややパート1に劣ると言わざるを得ない。
しかしそれは、パート1・パート2を別作品として比較するからそう感じるのであって、連続したひとつの作品として見ればバランスがとれているとも言える。
これから鑑賞する方は、パート1を復習してから劇場に足を運ぶことをおススメしたい。
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