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由宇子の天秤のShingoのレビュー・感想・評価

由宇子の天秤(2020年製作の映画)
3.5
以前から批評家筋の評価が高く、機会があれば鑑賞したいと思っていた。
2024年に入って、メディアを騒がせる事件が後を絶たない。吉本芸人による”上納”疑惑や、アーティストNの性暴力、サッカー日本代表が選抜から外され、「セクシー田中さん」原作者の芦原妃奈子さんが亡くなる事件も起きた。
そのたびに世間は騒ぎ、SNS界隈も議論・批判・誹謗中傷が飛び交う阿鼻叫喚の様相を呈する。
本作は、そんな現代社会に痛烈に刺さる一本だろう。

映画の前半は、ドキュメンタリー作家としての由宇子の仕事ぶりと、テレビ局との軋轢が描かれる。メディア批判も辞さない由宇子は、いちディレクターとしては剛腕で鳴らすが、その取材手法はやや強引かつ巧妙ともいえる。
取材対象との距離を詰め、心に寄り添いながらも、欲しい映像を撮るためには手段を選ばない狡猾さがある。
そんな彼女も、実家の学習塾で生徒たちに見せる顔は、分別をわきまえた大人の女性という感じだ。
しかしそれすらも、父が生徒を妊娠させるという”スキャンダル”を前にして、脆くも崩れ去る。すべてを公にするという父に対し「失うものが多すぎる」と言って秘密裡に事態を収拾しようとする。

防衛本能とも言うべきその感情は、昨今の様々な騒動の裏にある心理そのものと言っていい。誰だって不都合な事実は隠したいし、被害は最小限に抑えたい。ましてや、自分の犯した過ちでなければなおさらだ。
普段は「説明しろ」「責任をとれ」と言い、法を超える社会的制裁すら”抑止力”の名のもとに正当化する者であっても、いざ自分が非難を受ける立場になれば、保身に走るのが人間というものだ。
本作はメディア批判にとどまらず、そんな弱い人間の本性を赤裸々に暴いていく。

世の中は、誰が加害者で誰が被害者かを二分したがるが、現実はそう単純なものではないだろう。
由宇子の父が「どちらが誘ったとかではない」「月謝のためではない」というのは、おそらく本当のことだ。その場には言葉にしない暗黙の了解があって、妊娠さえしなければ闇に葬られていたのだろう。
自殺した教師の姉が性加害の証拠を隠していたのも、加害者家族へのバッシングという社会的制裁が横行していなければ、起きなかったことだ。
メイが身体を売っていたのは多分事実だし、子どもの父親が誰なのかはメイ自身にもわからないのではないか。

父親やチーフディレクターにスマホのカメラを向け、「本当のことを言え」とせまった由宇子が、最後には自分にカメラを向ける。
他人の罪を追及し、「自分だけ楽になろうとするな」とその罪を償うことすら許さなかった由宇子が、いざ自分が罪の自覚に苛まれると、贖罪するかのように自分の罪をカメラに告白する。
ある意味、誰よりも不誠実で自分勝手だったのは由宇子だとさえ思える。
しかし事の発端は他者の過ちにあり、由宇子はそこに巻き込まれただけでもある。

アーティストNは、「(マスコミは)事実だけを書き立てて、真実を封じ込めてしまう」と語った。その発言を批判する声も多いが、私は表に見える事実だけで全てがわかるわけではないと思う。
発言は切り取られ編集され、食べやすいように加工されてから私たちの手元に届く。その裏にある複雑な事情や、怒り・恥・絶望は顧みられることはない。

由宇子がメイを懐柔して問題の解決を図ったように、メイもまた由宇子に取り入って問題を解決しようとしている。一方で、二人が心を通わせ、姉妹や親子のような関係を築いたことも事実だ。そこに嘘はなく、その真実はきっと二人にしかわからない。

当事者にしかわからない真実はあるのだろうし、それを第三者が安易に断罪することは、メディアにも大衆にも決して許されることではないはずだ。
ただ、メイの父親が由宇子の首を絞めたのは、当然の怒りであったと言える。バイトも続かずネグレクト寸前だったこの男が、本作における唯一の良心であるというのは、あまりにも皮肉だった。
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