Shingo

愛なのにのShingoのレビュー・感想・評価

愛なのに(2021年製作の映画)
3.0
城定監督の作品は初鑑賞。どちらかと言えば脚本の今泉力哉と、「ふてほど」で人気急上昇中の河合優美が目当てで見てみた。

「不適切にもほどがある」関係を描いた映画かと思ったが、予想よりずっとテーマに即した構造的な描き方をされていてびっくり。
前半は古本屋に通う女子高生と店主、結婚間近のカップルの浮気が並行して描かれるが、これは後半に向けてのお膳立て。恋愛模様を描くというよりは、「好き」という感情に善悪も理屈もないということがテーマになってくる。

もちろん、未成年と関係を持つのはご法度だし、浮気も許されるものではない。しかし、一線を超えない範囲でお互いを「好き」と思うことは自由であるし、また「好き」という感情は必ずしも1種類ではない。心ではなく身体の相性が合うという意味での「好き」もありうる。
その気持ち自体は尊重されるべきだし、仮に自分が相手に”無関心”であったとしても、その思いを雑に扱うべきではない。
多田は自分に”無関心”な相手と身体だけの関係を結んだことで、そのことに気づく。そして岬に自分の今の気持ちを正直に伝える。

その手紙が岬の両親にバレて、警察に通報される事態に陥るが、手紙のやりとりだけで”淫行”とするのは少々無理があるだろう。とはいえ、親の立場からすれば「キモチワルイ」以外の何物でもないわけで、普通なら二人の関係はそこで終わるはずだ。
しかし多田は、「好きを否定するな」と激昂し、その後も二人の関係は継続する。これを男性目線のご都合主義とみるべきか否か。

世の中には、理屈で考える事柄と感情で考える事柄がある。二人の関係は客観的にはただの店主と常連であり、成人するまで待つという判断も正しい。しかし、感情で考えると受け入れられない部分もある。ここで問題になるは、理屈と感情のどちらを優先するべきなのかだ。
私たちはそれを、自分に都合のいいように使い分ける。ある時は「それは感情論だ」と一蹴しつつも、ある時は「理屈じゃないんだ」と突っぱねる。

一花が教会の神父に悩み相談する場面は大変面白い。彼女にとって大事なのは結婚するかどうかではなく、セックスの喜びを知らないまま結婚してしまっていいのかどうかだ。神父に「御心のままに」と言われて再び多田と関係を持つが、「それは神様の望むようにという意味だ」と言われてしまうくだりは、滑稽すぎて思わず大笑いした。
ここでは「相手も浮気したんだし、気持ちよくなりたいと思って何が悪いの」という感情論が場を支配している。しかし多田は、そんな一花に別れを言い渡す。
それは都合よく理屈と感情を使い分ける欺瞞に耐えられなかったからだろう。

本作では、岬がなぜ多田をそんなにも好きなのか、多田が一花のどこに惹かれたのかは一切描かれない。本作における「好き」には理由はなく、ただ「好き」という感情だけがそこにある。そうすることで、この「好き」はよいもので、あの「好き」はよくないものという判断をさせない。
「好き」になった後どうするかは人それぞれだし、理屈や感情で適切な行動をとらなければならないが、「好き」になること自体はどこまでも自由で尊い。
「愛なのに」ゆるされないとか、「愛なのに」不純であるとか、そういう理屈や感情を超えたところに真実が隠されているのかも知れない。

監督・脚本がスイッチした「猫は逃げた」も近日中に鑑賞したいと思う。
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