マティス

ほつれるのマティスのネタバレレビュー・内容・結末

ほつれる(2023年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

なぜ不幸を引き寄せるのか。



 オープニングの数分で引き込まれた。

 別々の部屋に寝ている男女。(仲が悪いのかな)
 おはよう、と女が声をかける(声のトーンに冷たさや刺々しさはない。なんだ、そうでもないのか)
 おはよう、で返さず、掛け布団を入れ替えてくれと言う男。(やっぱりそうなんだ)

 他愛もないシーンだったが、二人が境界線の上にいることを想像させた。練られた演出なのか、それともたまたまこのようなセリフになっただけで、そんなことが気になる面倒臭い私をただ発動させただけなのか、 いずれにしても作品に対して関心が高まった。

 「とりあえず謝ろうか」から話し始める文則は、いわゆるロジハラ男なんだろう。最近、こういう人物にポツポツ出会うようになってきたと感じる。
 向き合いながら、この人はどうしてこのような話し方をするのだろうかと議論の中身とは違うことを考えている。関係を修復したいのか、優位に立ちたいのか。もし関係を修復したいのなら、こんな話し方は逆効果だと思うが、そんなことがこの男には分からない。おそらく、正しさを強調することで自分という人格を守りたいのだろうな、と想像しながら相対する。私も相当イヤな奴だ。

 文則はおかしな奴だと思うと、綿子に同情したくもなるが、そもそも文則を夫として選んだのは綿子だし、綿子は現在進行形でW不倫をしている。
 あんな風に「おはよう」を言える女が、裏でずっと不倫を続けているという気持ち悪さ、友人の英梨も「あなた止めときなよ」と忠告していた風でもない。
 相手も同じようなことをしているというのは免罪符になるのだろうか。違うと思う。するかしないかは、自分の問題だ。
 主要な登場人物のいずれもが(最後の方で出てくる木村の妻は違うかも知れないが)、表の顔と裏の顔を使い分けている。これがリアルな世界ということなんだろう。そう思うと、ラストの「木村クンに会いたい」もこの手のタイプの女性にありがちな言葉に思えて、冷めてくる。

 自分の人生だから、自分の心のままに自分の好きなように生きていく、よく聞く言葉だ。
 木村の妻に告白した時に、綿子は罪の意識からある種の解放感を感じたのか、それとも逆に罪の意識を深めたのか、そのことが気になった。
 自分を中心に考える人はおそらく前者なのだろう。でもそういう人は、結局文則のような人しか引き寄せないと思う。木村もそういう男のようにも思える。
 では、間違った相手を選んでしまったと気付いた時に、自分が選んだことだから、と我慢すべきかと言うと、そうでもないとも思う。一途でいることが理想的なのか、最初は理想的だと思っていたことがだんだん変わってくる。よくあることだ。修正しても良いと思うし、修正すべきだぐらい思う。その時に、自分以外の他者に思いを馳せることが出来るかどうかが大事だと思う。
 結果が同じなら、それは単なる自己満足でポーズと言ってもいいでしょ、と言われたら返す言葉がないが、でもそういうことだと思う。

 大切な人の死をきっかけに、自分の内面に向き合うというテーマは「ドライブ・マイ・カー」と同じだ。でも描かれた世界は正反対。向こうはピュアだが、こちらはダークサイド。こちらの方にリアルさを感じる私は、こっちよりにいるということなのか。

 この加藤監督のことは知らなかったが、とても興味を引かれる監督だ。作品の中に余白があって、観る者の想像を掻き立てる。もともとは舞台の演出を手掛けているそうだ。一度彼の演出する舞台を観てみたい。

 いきなり下世話な話になるが、ヒュー・ジャックマンが別れることを決意した時の彼の内面を想像した。
マティス

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