シズヲ

絞殺魔のシズヲのレビュー・感想・評価

絞殺魔(1968年製作の映画)
3.7
1962~1964年にかけて発生したボストン絞殺魔事件を題材にした映画。現実では80年代から冤罪説が根強く出ていたり(とはいえ少なくとも一件は後年のDNA鑑定で関与が裏付けられた模様)、そもそも犯人が二重人格である事実は確認されていなかったりと、今になって見ると作中の信憑性は怪しい。それでも実際の事件から数年程度で殆ど間を開けずに映画化しているフットワーク自体が凄い。後年の殺人鬼サイコスリラー映画の先駆けめいたものを感じる。

アメリカン・ニューシネマの黎明期を感じさせるような映像表現が印象的で、単なる堅実な作家に終わらないフライシャー監督の挑戦的な技法が見られる。後年のドラマ等でも用いられる“画面を複数に分割してシーンを同時進行で描く”という演出がこの時代としては斬新。絞殺魔事件を受けた世間の反応や捜査シーンを分割画面で映し、社会の動揺や混乱を端的に表現しているのが中々にスマート。少々多用しすぎているきらいはあるけど、ドライな作風も相俟ってドキュメンタリーのような質感を生み出している(捜査の段階で出てくる妙に濃い変態達や超能力者の下りはちょっと笑う)。

犯人が逮捕されてからは一気に“尋問映画“へと転換し、白一色の面会室での対話が圧迫感を伴って繰り広げられる。トニー・カーティスの神経質そうな眼差しや気難しい演技が印象的。“既に観客目線で解っていること”の確認でしかないので展開はそこまで楽しい訳ではないけど、犯行のフラッシュバックや検事を交えた記憶の追体験などの演出は面白い。犯人の曖昧だった記憶が完全に甦り、淡々とした“自壊”に至って幕を下ろす真っ白なラストシーンも秀逸。

『アメリカン・グラフィティ』において1962年は“アメリカに希望があった最後の瞬間”として描かれていたけど、同時代である本作の冒頭もマーキュリー計画の明るいニュースで始まるのが興味深い。そこから猟奇殺人事件によって世間が揺れ動き、映画中盤では暗殺されたケネディ大統領の国葬が映し出される。単なる実録映画にとどまらず、アメリカにおける一つの時代の終焉が垣間見える。
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