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ぼくを葬る(おくる)のkomoのレビュー・感想・評価

ぼくを葬る(おくる)(2005年製作の映画)
4.3
パリで写真家として軌道に乗っていた青年・ロマン(メルヴィル・プポー)は、がんの余命宣告を受ける。
ロマンは自分が死んでゆくことを秘め続けることに決めた。家族にも至って普通に接し、同性の恋人のサシャ(クリスチャン・センゲワルド)には理由を告げずに別れることに。ただ唯一、自分の考え方が似ている祖母にだけは胸の内を静かに吐き出した。
ただ死を待つだけという状況の中、偶然出会ったある夫婦からひとつの頼み事をされる。


医師にがんの宣告を受けるシーンから始まる本作。
その時のロマンは至って飄々としており、医師の言葉にさくさくと応答し、自ら余命を訊き出したりしています。
しかし、冷静だからとは言え、仕事で成功して脂の乗ってきている青年が人生の終わりを告げられるのはどれだけ無念なことか。
メルヴィル・プポーの耽美な目つきと口元には、そんな胸の空虚が始終現れていました。

監督自身もゲイセクシャルとあって、男性同士のベッドシーンがとても美しく、生の躍動が感じられます。
ロマンの嘘をまっすぐ受け止め、別れを受け止める純粋なサシャの表情がつらい。

ロマンの理解者である祖母との会話はこの作品の肝の部分ですね。祖母の卓越した世の中の捉え方、そしてロマンへのさらりとしながらも豊かな愛情…。
30代の息子に先立たれる苦しみは如何ばかりかと思いますが、ただ無念というだけでなく、この世の摂理を美しく呑み込んでいる場面でもあります。

ある夫婦からの依頼は突拍子のないものですが、ロマンの人生というパズルの感性に最も必要なピースだったのではないかと思います。
ゲイとして生き、家族もそのことを承知しており、生涯その生き方であるはずだったけれど、それでも彼には『自分の遺伝子を残す』という選択肢が最後まで残っていました。
勿論、子孫を残すことが人生の全てではありませんが、ロマンはそれを自身の総仕上げの術として選んだのです。

死とは不平等で、ロマンよりも長く生きて大きな成功を収める者もあれば、ロマンよりも唐突に、なんの準備も覚悟もなく死を迎える者もあります。
ロマンのように身辺を整然とさせ、遺したいものを遺してから終わりを迎えられる人物は少ないでしょう。
しかし、自分の『生』とこれからやってくる『死』を符号させるのにこのような美しい術があるのだと教えてくれる本作は、本当に存在意義の高い作品だと思います。

水平線が美しく染まってゆくその時を、自身の終わりの姿にかぶせるラストシーン。
それは写真家としての彼の、最後にして最高の”画角”だったのだと思います。
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