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雨の日は会えない、晴れた日は君を想うのkomoのレビュー・感想・評価

4.3
エリート銀行員のデイヴィス(ジェイク・ギレンホール)は、突然の事故で妻を失う。
妻を亡くしたというのに、悲しみの感情が湧いてこない。それなのに彼の心は乱れ、通常では考えられない奇行を繰り返すようになる。
自動販売機メーカーへのクレームの手紙を書くデイヴィスは、そのまま自分の苦しい状況までも綴ってゆく。
手紙を受け取ったカスタマーサービスのカレン(ナオミ・ワッツ)は同情の念を抱き、デイヴィスに個人的なコンタクトを取る。
カレンやその息子との奇妙な交流が始まった。


【確かに存在していた心の残骸】

妻を亡くしたことに悲しみを感じられないデイヴィス。自分自身に『なぜ?』と問いかけても、その答えはわからない。
自分のことがわからないデイヴィスは、『自問』という手段以外に、自分の状況を受け入れて理解できるようになるための手段が必要でした。
そうしてたどり着いた手段というのが、作中で描かれる奇行なのだと思います。

『喪失感』というのは、失ったものの大きさや形が、そのまま同じ形に抜け落ちた穴になるとは限りません。
デイヴィスに訪れたのは、”何かを無くした”という感覚は確かなのに、悲しみが伴わない状況。
悲しみを感じることが出来たなら、その悲しみを指標に、心の中の穴を探すことができる。
しかしデイヴィスにとっては穴がどこにあるかもわからず、穴の縁をなぞることもできない状態なのです。

そんな彼にとっては、失ったものの正体について考え続けなければならない雑然とした空間よりも、壊れたものの残骸が身の回りに転がっている空間の方が、よっぽど安心できたのでしょう。
そして1から組み立て直したものならば、その心の在処が分かるから。
行動の善し悪しは置いておいて、人間の心の向かう方向は本当に人によって違うのであるということを考えさせられます。

最後に登場したモチーフは、それまでの主人公の破壊行動からは想像もつかないような、希望に満ちたオブジェクト。
最後にデイヴィスが童心に帰ったことは物語にとって非常に重要であり、それを象徴しているのが、同じところをぐるぐる回り続ける遊具でした。
それは人間の悲しみに本当の終焉はないのだと訴えているようでもあり、すべての人を初心に帰してくれる永久機関のようでもありました。

人間の心の形をこんな風に昇華する作品を創れるアメリカはすごいなぁ。
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