✨2024年19本目
この物語について、内容の分析を試みることは小生にはできまい。監督アンドレイ・タルコフスキーの人生観を語るにはまだ到底及ばない。映像作品の感想を述べることの難しさもまた痛感させられるような時間となった。
光の陰影や、特徴的に映し出される水の滴りや勢いは、4Kで修復されるべき見事な印象を放っていた。それと共に水の音や、床や扉が軋む音などが芸術性を伴って我々に押しよせてくる。
時折りモノクロシーンが挟まれて、おそらく故郷の家族?や女性を取り巻く自分自身の姿が幻想のように描かれており、それがこの作品を難解にしている。
さて、
主人公であるアンドレイ(監督と同じ名前でややこしい)はモスクワ出身の男のようで、通訳の女性エウジュニアと共にイタリアのトスカーナ地方の田舎町を訪ねる。彼は奥さんもいるようだし、どこか不倫旅行のようにも見える。
エウジュニアはロシア詩人の翻訳本を読んでいるが、アンドレイは翻訳された時点で芸術性が損なわれていることを批評する。それを無くす唯一の方法が"国境をなくすこと"と述べる。
監督タルコフスキー自身がロシアから亡命した過去と、帰ることができない境遇を照らし合わせて、故郷への未練と行き場所のない未来に対する絶望を思わせるようシーンである。
アンドレイはドメニコという終末を待つ信仰深い男と出会い、彼もまた「1滴に1滴を加えても1滴」と述べたり、彼の家に「1+1=1」と大きく書かれていたりして、昨今のウクライナ侵攻の現状も相まって、ロシア人としてのプライドや信仰を感じざるを得ないゾッとする演出がなされている。
もちろん、その真意はわからない。
ドミニコがアンドレイへの問いかけに対して、"よく"分かると返したことに対して、ふざけるな、なにが"よく"だ。と述べるように、真意が私にもよくわからない。"よく"わかるとはなんだ。わかるわけがない。翻訳本の芸術性と同じだ。
ただ芸術的な映画だけだったら、退屈だったかもしれない。でも時折、アンドレイがエウジュニアの女心を分かってあげれてないシーンとか、なにかに躓いたりとか、鏡の使い方、長回し、左右に移動するカメラワークとか画面に何かしらの仕掛けがあって、それが非常に面白かった。
ドメニコから託された、ロウソクの火を消さずに温泉を渡るお願い事のシーンはまさに圧巻だし、ドミニコもローマで焼身自殺するシーンは第九も伴ってインパクトがある。
それにとにかくロケ地どこ、というぐらい美しい。
何かに駆られてまたこの作品を観たくなる日を待ち侘びたい。