たにたに

イグアナの夜のたにたにのネタバレレビュー・内容・結末

イグアナの夜(1964年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

✨2024年17本目

テネシー・ウィリアムズの同名の戯曲を映画化。名優たちの演技合戦が非常に見応えがあり、かつ台詞の節々が実に詩的かつ魅力的で、終始感心に浸ってしまった。

その中でも好きな主人公シャノンの台詞。
「男の心は銀行口座と一緒で限りがある」

元牧師である彼は、女教師と不適切な関係を持ったことにより教会から追放されている身でありながらも、根幹にある女好きであることを捨てきれないし、しかも何故か女からモテてしまうという境遇の中、自己を性欲の悪魔から律するために発言する台詞でもある。

なるほど、だとしたらシャノンの心の残高はいかほどか。彼自身が恋愛に疲弊していることがよく理解できる。

牧師復帰までの食いつなぎに旅行会社のツアーガイドとして働く彼は、メキシコでの旅行先でやはり未成年との不適切行為にいたり、参加者のお局の女性に教会にチクられないために電話のない知り合いのホテル宿泊へと予定を変更するという強行手段を取る。

そこには昔関係性のあったと思われるマキシンという女性がおり、これまたおかしなムキムキのホテルボーイ2人がマラカスを振りながら働いている。そのボーイたちが中南米で食用として扱われるイグアナを捕まえて、紐で逃げないようにくくりつける。

この捕えられたイグアナのように、不適切行為に至ったシャノンもハンモックに拘束されてしまうのが本作の題名の意味するところである。結局彼を許して解放するのは、同日ホテルに訪れた女性、絵描きで生計を立てるハンナだ。彼女は詩人である祖父とともに転々としながら金を稼ぎその日暮らしをしている。

ハンナがシャノンに対して特別な好意を抱いたのかどうかは微妙なところだが、アルコールに飲まれて自己を失ったシャノンの様子に、同情と悲哀を感じで、チャンスを与えるかのように解放する。そのシャノンもまた、捕えられているイグアナをすぐさま解放させる。

絶体絶命の窮地の中から再び息を吹き返すと同時に、ハンナの祖父が詩を完成させて息を引き取るという流れはなんとも言えない人生の深みを感じざるを得ない。
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