CureTochan

大日本人のCureTochanのレビュー・感想・評価

大日本人(2007年製作の映画)
1.0
点数の低い映画の感想も書いておくシリーズ

ウィル・スミスが壇上で司会者を張り倒した件は、彼が謝らないといけない話ではないと思うのだが、おかしなことになっている。司会者の男が言ったジョークの出来がどうなのか、我々にはよくわからないが、わざわざ言う価値がなかったことは確かだ。スミスの嫁さんが病気で毛がないということは誰でも知ってるみたいだけど、奴らはスティービーワンダーが目が見えないことをジョークにするなど、我々とは感覚が違う。だが少なくとも、彼が言ったことがどれだけ失礼だったかを測る一つのデータが、スミスの反応であって、彼が張り倒すことによってのみこのことは大事になった。最初に、道をそれたのは誰か?しょうもないジョークによって晴れやかな日を傷つけられたのはスミスのほうであるのに、張り倒したぐらいで暴力扱いとは、拳銃であれだけ毎日人を殺しておいて愉快な国民である(ツイッタ上では、アメリカは銃社会だから暴力はいけないと言われる。日本人はわかってない。という主張が堂々と通っているが、銃社会をやめてビンタぐらい許容されるまともな社会にできないからこそ、アメリカは愉快でありスミスは悪くない。それに絶対、表向きだけだし)。これって海老蔵 × 小林姉妹の話の異常さとも似ている。主に暴露したほうが叩かれているのだが、最初に道を外したのが海老蔵だったら私はそっちにしか興味が向かない。それが片付いたあとでしか、暴露がよかったのかどうか判断できないと思うんだけど、海老蔵ファンとかきっと頭湧いてるし。自分以外の女が何をされようが気にならないんであろう。なにしろ大河「宮本武蔵」の演技はヤバかった。それを言うと怒るファンも怖かった。そりゃDVD化されないよなと思うが、逆にもう一回観たい。

そんな、逆にもう一回観たいけど、配信されていない失敗作。松ちゃんの「大日本人」のラストは、こっちが赤面するトラウマ級のひどさだった。トラウマ級の映画を作りたかったのだとすれば成功しているほどだ。強い敵が現れて、勝てなくなり、アメリカが助けにくる流れと、撮り方が急に映画から舞台になり、暴力がやけにリアルに見える仕掛けが起こしたのは、単なる混乱だった。アメリカの暴力だけを暴力的に見せたいのなら、特撮のままやればよいのに、フォーカスがボケてしまった。そこまでのCGの完成度が低かったことも大きい。

本作の内容を言葉で説明すると、めっちゃ面白そうになる。でもそれが面白さのピークであること、またそれが、初見で、観ていてわかってしまうところに問題がある。昔から松ちゃんは、面白いことを言ってるのに笑わない客は、頭に「絵」が描けていないと話していた。だからといって絵を見せてもしようがない―はずだったのに、それをやってしまったのがこの映画。イメージを描けるはずもない、外国人の客を意識したことが敗因だと考える。

変身して怪獣と戦う男がいて、それは家業で、後継ぎがいなくて、家族からも社会からも愛されない。悪くない設定だ。ただ映画の国アメリカでは、ヒーローが迷惑がられて禁止される、というのは古いコミックスのウォッチマンからMr.インクレディブルという流れ?がある。ついでに後の作品だが、ウィル・スミスの「ハンコック」もそうだ。松ちゃんは、このあたりの知識がなかったのでは?

変身するために山にバイクで登るシーンなど、いいところもあったが、中村雅俊の歌の使い方は感心しない。松ちゃんは音楽のセンスはない。ラストまでの映像・音楽・芝居の完成度が低すぎて、客はそんなに没入してないから、オチでコントラストが生まれない。そこへもってきて、客が曲がりなりにも感情移入してきた主人公の運命が、急に投げ出されてしまう。主人公はハッピーになるか、不幸になるか、決めてほしい。松ちゃんはクリエイターのモラルとして、「最後にちゃんとオチがある」という約束だけは守ったが、そこまでだった。好きなことをやる前に、修行を積んだビートたけしは頭が良かったのだ。オチとしては、たとえば怪獣が生まれてくる理由が最後にわかるとか、もっとなんぼでもいろいろあったろうに。

たけしも言ってたけど映画って、制作の後半は息切れするものなのだろうか。なにしろ日本人って体力がない。我々は小さいから、せめて総理大臣だけでも体の大きいやつを選べばいいのに、と言っていたのも松ちゃんだった。むしろそっちのコントを見たかった。この映画は長すぎ、かつ松ちゃんの面白演技を欠いたコントと見ることもできる。劇団ひとり的な演技が、実はコメディアンとしての松ちゃんの武器だ。面白くないのもいっぱいあって、いいのは松本が憑依できている「正義の見方」とか「オカンとマー君」とか「ミラクスエース」とか。本作での、いろんな「獣」なんかは、テレビコントの「・・殺人事件」シリーズを思わせる。あれは松ちゃんが必要なくて、殺された化け物も美術さんが苦労して作っただろうに、出落ちにしかなってなかった。映画に向いてない感じはプンプンしていたのだ。コントのビデオが赤字や~とマネージャーも叫んでいた。このころの松ちゃんは、テレビでは「リンカーン」で、あまり光っていなかった。「モーニングビッグ対談」は面白かったが、それは準備を放棄したアドリブの世界で笑いを探し、それ故に増幅される笑いを我慢する面白さだった。

そもそも漫才というお笑いの形式は、日本独特のものだ。西洋にはスタンダップコメディがあり、寄席みたいなものも都市部にはあるらしい。そこで鍛えた人がテレビのトークショーホストになることもある(そして失敗してスミスに張り倒される)のは日本と同じだが、コンビってのは見たことがない。会話で笑わせるのはコメディドラマであって、でもそこでもツッコミは顔芸と肩をすくめるぐらいしかない。非常に日本的な芸である漫才と、映画の相性が悪いのには理由があるな絶対。
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