主人公の「猫」が完全感覚猫すぎる。仕草、動作、表情、それら全てが「これぞ猫」、お手本のような猫。
「猫らしさ」のこのイメージって世界共通なんだねぇ。まあそりゃそうか、どこに住んでる猫ちゃんだって「ふみふみ」したり、光を追いかけたりするよね。「尻尾にジャレジャレ→はっ!マネされてる!」とかもね。
そんなこんなで冒頭の「にゃんぽ→にゃんダッシュ→にゃんホーム」から、とにかくワタクシは猫ちゃんの虜。
って猫さまを愛でてたら、あまりの天変地異に私もびっくりよ。なすすべもなく追い立てられ、または飲み込まれていく生き物たち。大洪水に沈む世界、様々な動物たちが乗り込む舟、これは当然ノアの方舟を彷彿とさせる。
一方で、「この世は誕生から破壊までという一日を繰り返している」というインドの宗教的思想も思い出される。だって最初にいた場所の背景に見える木、かなり高い所にアレが引っかかってたよね?
とにもかくにも偶然か必然か、何かしらの上位存在による導きなのか、共に困難を乗り越えることとなった動物たち。パンフレットのキャラクター紹介ページには、「猫」「犬」「カピバラ」「ヘビクイワシ」などなど、どストレートな「役名」が並ぶ。
彼らはあくまでも猫や犬として登場するので、いわゆる「セリフ」はなし。だけど、鳴く、吠える、唸る、それらはしっかり「ことば」だ。こんなにも意味のある「ことば」のコミュニケーションを成立させるなんて、その道のプロであるべきニンゲンだってそう容易くできることじゃないよ。
そもそもこの「世界」のニンゲンは?痕跡はあれど姿は見えずって、淘汰されてしまったの?それとも(ニンゲン以外の)動物たちは比喩表現なのか?考えれば考えるほど、思考の海、考察の波に飲まれていく〜。
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