タケオ

ボウリング・フォー・コロンバインのタケオのレビュー・感想・評価

3.7
 1999年4月20日の11時10分、アメリカ合衆国コロラド州ジェファーソン郡立コロンバイン高等学校のカフェテリアで、2人の若者が銃を乱射、15名が死亡し24名が負傷した。犯人は、エリック•ハリスとディラン•クレボルド。かの有名な'コロンバイン高校銃乱射事件'である。事件が起こるや否や多くのメディアは、「トレンチコート•マフィアと名乗るいじめられっ子が、体育会系への報復として事件を起こした」と報道した。キリスト教保守派の団体は、エリックとディランが好んで聴いていたマリリン•マンソンこそがこの事件の原因だと騒ぎ立てた。彼らのことを人種差別主義者とする声もあった(2人がナチズムに没頭していたのは確かだ)。
 エリックとディラン本人たちのレポートや日記をまとめた「コロンバイン•レポート」を読めば、メディアの垂れ流した情報の大半が的外れかつ事実無根なものであることがよくわかる。エリックとディランが破壊しようとしたもの、それは'偽善と欺瞞に溢れた世界そのもの'だった。彼らが抱えていた怒りや暴力衝動は、いじめなどといった単純な問題に矮小化できるものではない。
 しかし人間は、物事の問題や本質を矮小化し簡潔な結論に結びつけたがるものだ。日本で東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が起きた際にも、犯人の宮崎勤の部屋から大量のビデオテープが押収されたとメディアが報道したことで、ホラービデオが全国のレンタルショップから姿を消した。オタクやロリコンやホラーマニアは犯罪に走りやすいというあまりにも短絡的な偏見も世間に広まった。
 マリリン•マンソンやホラー映画が、若者たちを凶悪犯罪へと導いた。いわゆる、メディア悪影響論というやつである。それに対して、マイケル•ムーアは本作『ボウリング•フォー•コロンバイン』(02年)で問いかける。エリックとディランが乱射事件を起こした原因がマリリン•マンソンだというのなら、2人が事件当日の朝に楽しんでいたボーリングについての悪影響を何故誰も指摘しないのか。メディア悪影響を取り沙汰するよりも前に、もっと議論すべき問題があるのではないか?
 銃社会としてのアメリカ合衆国の構造は、腐臭漂う利権と政治の上に成り立っている。この腐敗を、エリックとディランが最も憎んだ'偽善と欺瞞に塗れた世界'の象徴と言わずして何という。無責任に「最近の若者は〜」などと平気で口にするようなふざけた社会に対するムーアの怒りが、鑑賞しているこちらにまでヒシヒシと伝わってくる。歪んだ社会や事件を前にメディア悪影響論など、全くもって退屈(ボーリング)な話ではないかと。
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