CureTochan

シックス・センスのCureTochanのレビュー・感想・評価

シックス・センス(1999年製作の映画)
5.0
ネタバレ注意





この映画を劇場で、ロードショーで観ることができたというのは、まことに僥倖であった。当時の週刊文春の映画評に、「結末について、決して人に話さないでください」という冒頭のメッセージが紹介されていて、その時点で絶対に観たくなった。

当時はシャマランの作風も、誰も知らなかった。いまYoutubeでmovie reactionを検索したら、本作を初めて観るという男女の動画があって、反応が素直でめっちゃ幸せなことになっているものもあるが、そういう人はどんどん減っているだろう。オチが読めてしまったという気の毒な人は、当時でも存在した。しかし改めて字幕で観てみると、日本語訳がいい加減すぎて、元は笑えるセリフもちっとも笑えない。彼らにオチが読めたのも、むしろ誤解によるものではなかろうか?

私はシャマラン監督と同世代なのだが、見事に騙された。似たオチの小説や映画があるらしいんだけど(ちょっと遅れて、似た映画を、やはり映画館で観た記憶もあるし)、そうしてみると多くの映画を観すぎるっていうのも考えものだ。このfilmarksには、映画を観ることが目的化しているようにすら見えるジャンキーがいっぱいいるが、女も映画も、数をいてこましたら良いわけではない。手を出しすぎてシックス・センスのような本命女に集中できなかったとしたら不幸なことだ。そういや、ミステリ小説のほうは私も読みすぎたせいか、「アクロイド殺し」とか「Xの悲劇」は犯人がわかっちゃってガッカリだった。「逆転裁判」のようなゲームでも、最高に面白い傑作ミステリのネタバレ寸前みたいのがあって、腹が立ったものだ。

ただ本作の初見時、シアターで、私は冒頭のシーケンスとそのあとの時間的つながりを、実はよくわからないまま観ていたような気がする。ていうか中盤の、ブルース・ウィリスがカセットテープを再生するシーンで、ようやく冒頭から時間通りに話が進んでいたことを理解した。字幕は情報が足りなかっただろうし、英語のセリフにもついていけてなかった。その後、ビデオレンタルで何度か観てやっと理解できたというのが正直なところだ。昔はロードショーに吹き替えもなかった。みんなそんな感じだったろう。

ただこの映画がうまくできているのは、ていうかシャマランの優秀なところは、重要な場面だけは確実に伝わるということである。カットが面白いだけでなく、機能している。それでいて、大オチはバレにくい。死んだ人が成仏しきれずに起こすいろんなことが、それ自体で興味深いからだし、だからこそミスリーディングになっている。少年の第六感、すなわちシックス・センスとは一体どういうもので、彼は何故それを持ってるのか?これから何が起こるのか?ていう部分に気を取られていると、そこはまったく解決しないで、違う方向でオチがある。タイトルもトリックの一部だ。そしてブルース・ウィリスという間違いのない主役。このオチにとって最も適任で、ミスリーディングな人が選ばれているのだ。

最終的に、愛が詰まったラブ・アクチュアリーになっているのも本作の美点であろう。ホラー映画の風味が多分にあるなか、本当に怖いのは洗剤かなんかをスープに混ぜる母親である。これは代理ミュンヒハウゼン症候群だという意見がネット上に多いが、私は継母が血の繋がらない姉妹を殺したのだろうと思った(だってサイコというより悪人顔にメークされていたし)。いずれにせよ大事なのは、死亡した女の子がビデオテープで告発する目的が、復讐ではなく、同じことをされてる妹を守るためだということ。また問題児を持て余していたシンママが、彼の真実を知り、なおかつ亡き母と和解するとか、主人公がダイ・ハードのマクレーンみたいに嫁さんとの関係を修復するとか。そして何よりシックス・センスの持ち主であるコールの、死者に対する親切さ。これはもう徹底しているのであり、ユーレイが思い残すことがないように話を合わせて、一人で頑張っていたことになる。日本語版エンディングテーマは広瀬香美「愛があれば大丈夫」で良いくらいだ。トリックのためのトリックではなく、人ってそういうもんだよね、という普遍的な話になりえているから本作は偉いのであり、そのあとシャマラン作品に人々が期待し続けることになったのだ。これに脚本賞も与え なかった映画アカデミーは、自らの価値を高めるのに失敗したといえる。

音楽が、実は「インセプション」と似てた。
CureTochan

CureTochan