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ヴァンダの部屋 2Kレストア版
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『ヴァンダの部屋 2Kレストア版』に投稿された感想・評価

心配よりも不快がこみ上がるヴァンダの咳。
彼女の咳は劇映画の登場人物のように体調が悪いふりをして、私たちの心配を喚起するのではない。本当に体調が悪いのだ。そのフィクションではない咳を、映画で目撃することは希有な体験ではあるが極めて不快である。

それも彼女が咳き込む理由がドラッグの副作用なのもあるだろう。彼女はベッドから起き上がることなく、金属で炙ってドラッグを吸引する。映画の始まりから終わりまでずっとである。そんなドラッグ中毒の生活を送っていれば、体調が悪くなるのは当然である。しかも不調からベッドからあがれず、家族とは喧嘩になる。レタス売りの仕事は気分がいいときしかできない。そんな風に生きているから、貧困から抜け出せないのである。

しかしそのような不毛な時間、非生産的な時間しか流れないのが、貧困街のフォンタイーニャス地区なのかもしれない。それなら未来永劫に貧困で希望はもてないし、ドラッグに耽ったほうが快楽はある。

ファンタイーニャス地区はいつまでも貧困で、ドラッグ中毒者が蔓延しているから壊した方がましだ。そんな論理で、重機がやってきて街が壊される。

それに抵抗するイメージは本作にはない。ヴァンダが本当はいい人というフィクションは放棄されている。ただあるのは、ヴァンダの本当の姿だ。

その不快な本当の姿をみた先に、フォンタイーニャス地区を肯定する眼差しが生まれるはずだ。しかし残念ながら、皆がペドロ・コスタの眼差しを持っているわけではないし、多くの者は耐えかねて嘔吐するのが現実だ。

追記
本作は2Kレストア版でみたが、画質が粗くてびっくりしてしまった。それはレストア作業の稚拙さではなく、小型のビデオカメラでそもそも撮影されたことが原因だと思う。しかしホーム・ビデオのように思える質感の映像イメージをそれでも見続けることができるのは、カメラ・ポジションが最適で、構図がしっかりしているからだ。やはりペドロ・コスタにしか撮れないショットだ。
コロッサルユースでも感じたことだが、ペドロ・コスタの画面はボックスタイプ劇場の舞台に近い構成をしている。固定ショットのロングの画面に、雑多なオフが入り混じる。ただ、単なる劇場の模倣をしているだけではない。鏡越しにより複写された人物のショットに重なる声はオフである。また、暗闇での蝋燭の画面はほとんど蝋燭しか映らないその暗さにより、まるでオフが侵食しているかのような印象を与える。舞台の持つ固定性は緩和されている。アップやショットの切り替わりによる映画的作用も度々挿入される。
さらに、前景が開けることが多く、一定の距離が存在する。実は本作がドキュメンタリーであることすら知らずに鑑賞していたのだが、ドキュメンタリーにありがちな近さではなく、むしろ離れた視点の形式や劇場を模した構図があるし、作為的な物も確実に混じっている。指向している、とも言い換えられよう。指向先までに擬態としての様式があり、この擬態を通じて指向先の見え方も変わってくる。犯罪スレスレの世界に生きる蔑まれる人々を、虚実内まぜでありのままに提示しないことで見えてくる地平がある。面倒なので適当に言えば、生き生きとしていないが確かにある生活であり尊厳、とでも。
sw
5.0
自分の人生を変えたというかその立ち位置でもいいんだと後押しされた一本。それは作品どうのじゃない作り手の態度の問題。スラムを撮ったぜとかじゃなくて世界との向き合い方の問題。これは態度の映画だから。映画は世界を支配するものではなくカメラは自分を暴く装置。彼が言ってることが腑に落ちる。
映像でポイントになるのは黒と緑。黒い世界の中に緑が立ち上がる瞬間はどこか。黒い世界は、世界そのもの、それはみたまんまの世界。彼は世界をどうしようと撮っていない、ありのまんま見た。希望に見えるその中の緑はもちろん演出もあるけど、彼がやったのは緑を意図的に作らないこと。緑が自然に生まれる場所をセッティングしただけ。そして待った。世界の方が心を開くのを。撮り続けた。だからこそブルーレイのメイキングには使わなかった時間だけを記録しているんだ。これは意思表示。「映画は、
使われた瞬間で出来ているんじゃない。
使われなかった時間で出来ている。」
完成されたフレームの裏側に
• 無数の何も起きない時間
• 退屈
• 迷い
• 判断を保留した沈黙
がちゃんと存在していたという証拠。
映画のショットは全て完成されたように見える。意図的に見える。でも彼は撮り続けて、感性で編集しただけ。だからリアルなんだよ。
写真家や画家は1枚を完成させる。
でもコスタは
• 完成されたフレームを
• 連続させる
• しかも意味で繋がない
この時点で、
もう普通の美意識を超えてる。
「一フレーム一フレームが完成している」という違和感は完成を並べてしまっている異常さ。
接写のショットは時間が短い。
「撮れなかった」のではなく「踏み込まなかった」この距離以上で長く撮るのは、暴力になる」という線を、かなり厳密に引いている。
この映画は態度と倫理の映画なんだよ。

『ヴァンダの部屋 2Kレストア版』に似ている作品

グレース

上映日:

2024年10月19日

製作国・地域:

上映時間:

119分

ジャンル:

配給:

  • TWENTY FIRST CITY
3.9

あらすじ

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