140字プロレス鶴見辰吾ジラ

コマンドーの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

コマンドー(1985年製作の映画)
4.0
”デフォルメされた神話”

「これから何が始まるんです?」
「第3次世界大戦だ!!」

御存じ、アクション映画の金字塔的存在で、カルト的にも似た絶対的な信頼性を兼ね備えた娯楽映画の傑作。TV放映されれば、いい大人が童心に引き戻される「モーレツ大人帝国の逆襲」のような80年代のノスタルジーを今となっては纏ってしまった怪物映画です。

何故、こんなに楽しいのか?

それは、誰にでも理解し得る「神話」なのだと思います。

それも”デフォルメ”を施した”神話”なのだと思います。

その理由は大きく2点

1つ目は「シュワちゃんが作り上げたアニメ的な寓話性」
ギリシャ神話のような美しき筋肉を纏った虚構に限りなく近い存在であるシュワちゃん。シュワちゃんという愛称を使ったのは、彼の筋肉重視のスタイルであるがゆえの不器用さ、そこから生まれる萌えキャラのような目の離せなさ、いわゆるアイドル性。そしてその寓話性が纏う”最強”となりえる人物設定が発散するデフォルメされたヒーロー像に”憧れ”オンリーでなく、エッセンス的に散りばめられたコメディ的な不真面目さが抜群にスパイス的に効いているわけです。実際、大事な娘が誘拐され命の危機でありながら、冗談まがいの気の利いたセリフがシリアスなはずの世界を切り裂くように撃ち込まれることで、”気持ち良い”という快感のレールの上に乗せられてしまい、語彙を失ったように”楽しい””面白い”という脳内麻薬が分泌されるに至ってしまうのだと思います。ここまで出来すぎた肉体美と設定とアクション演出、クライマックスの一騎当千性も含め”アニメ”的なデフォルメが効いた面白さの純度が高いのだと思います。

2つ目は「吹き替え版によるデフォルメされた世界観」
映画は字幕で元の俳優の演技を・・・というニーズはたしかに多いが、上記で挙げたシュワちゃんとそれを取り巻くアニメ的なファンタジー性において、元の演技よりも吹き替え版として日本語で気の利いたジョークやセリフ回しを炸裂させることで、”面白外人”という付加価値を”筋肉ムキムキマッチョマン”のアクション俳優に乗せることが可能となり、それが声優という”虚構”と”現実”の狭間の存在である位置からのある種の魔法的なエッセンスが繋ぐ映画内での「虚構vs現実」に拍車をかけて、”楽しさ”に加えた”見やすさ”が”楽しさ”へと変換されていくなのだと思います。

この2つの要素が混じるというよりも、良い意味でのノイズとしてオブラート状に作品を包んでくれたことにより、語彙が欠如しても、思考停止が発生しても”愛嬌”のある”最強”を見せてくれる素晴らしい映画体験として、ある種手の届く”神話”としての意味をもっているのと思うのです。