Ricola

ナサリンのRicolaのレビュー・感想・評価

ナサリン(1958年製作の映画)
4.2
人間の本質、醜い側面が全面に押し出された、ブニュエルらしい皮肉と残酷さがめいっぱい込められた作品。

人間は何のために生きるのか。
本当に信仰心があれば、人は何も見返りを求めずに生きていくことができるのだろうか…。
このような懐疑心を抱くブニュエルから、もがきながら時にブラックユーモアを含ませてこちらに訴えかけるようだった。


最も現実にいそうな無意識の偽善者の存在のおかげで、その残酷さに拍車がかかっている。

ベアトリスの姪へ祈りを捧げるそばで、家の女性たちも皆祈りを捧げるがそれは神への祈りというよりも、ただ彼女が治れば良いという思いしか感じられないようなハチャメチャな祈りであった。そこに信仰心は感じられない。
その彼女たちの「祈る」様子に恐怖さえ感じる。

主人公ナサリオ神父と、ベアトリスそしてアンダラという女性で旅をすることになる。
アンダラという女性はこの映画の箸休め的存在に感じる。彼女に惚れた男もそう。ストーリーの中核をつくような存在ではないが、緊張を緩和してくれるので彼女の存在は重要なのだろう。

ベアトリスの信仰心の真意に彼女自身が気づくことになるのも、残酷である。
しかし信仰心があろうとなかろうと、彼女の結局の根本的な部分は変わらないのだ。

自らを犠牲にし、ひたすら人々のためになることをしているナサリオ神父。
しかしそんな彼も人間だから、疲弊するし傷つくのだ。
彼は自分自身を神と思っていなくても、自分は人を助けてあげる存在であると人々よりも上にいると思ってしまっていたのかもしれない。そういった過信は、人間誰しも持ちえるものなのだろう。

見返りを求めない純粋な愛からは、その人の本質が見えるのだ。
それができる人こそが、本当に人々に必要とされる人なのだろう。

ナサリオ神父は、最初の方はまさに聖人のような普通の人間とは思えなかったけれど、彼も人間であるとふと思わされ、ほっとすると同時に少し悲しくもなった。
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