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藤本タツキ 17-26 Part-2

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藤本タツキ 17-26 Part-2の作品紹介

藤本タツキ 17-26 Part-2のあらすじ

「人魚ラプソディ」 海辺の町に暮らす少年・トシヒデの宝物は、海の底に捨てられている人魚のピアノ。 ある日、いつも通りピアノを演奏していたトシヒデは、 隠れて聴いていた人魚の少女・シジュと出会う。 「目が覚めたら女の子になっていた病」 ある日、目が覚めたら女の子になっていた少年・トシヒデ。 クラスの男子たちの嫌がらせの標的にされてしまったトシヒデを助けたのは、 恋人・リエの兄・アキラで…。 「予言のナユタ」 ケンジの妹・ナユタは「世界を滅ぼす」と予言された悪魔の子として、周囲の人々から忌み嫌われていた。 ある日ついに、ナユタが大事件を起こしてしまう…。 「妹の姉」 ある朝、光子が美術学校に登校すると、玄関に自分の裸の絵が飾られていた! それは光子の妹・杏子が描いた作品で、1年間も学校に飾られることに。屈辱を晴らしたい光子は…。

藤本タツキ 17-26 Part-2の監督

渡邉徹明

寺澤和晃

本間修

原題
公式サイト
https://fujimototatsuki17-26.com/
製作年
2025年
製作国・地域
日本
上映時間
76分
ジャンル
アニメオムニバス
配給会社
エイベックス・ピクチャーズ

『藤本タツキ 17-26 Part-2』に投稿された感想・評価

4.0
藤本タツキの短編集PART2。

今回も4本の短編。

好きだったのは「妹の姉」

美術学校では金賞を獲ったら、その一年間は玄関に絵を飾られることになる。
その年に獲った金賞の絵が、主人公の妹が書いた姉の裸体。

スタートにビックリでした🫢

1年間自分のヌードが飾られるって屈辱でしか無いけど、妹からの姉への気持ちとか伝わってきて良かったです👏

奥深い作品でした🤔

他の作品もどんどん作って欲しいなぁ🥹
KAW
3.9
藤本タツキが17〜26歳までに描いた短編アニメの第2部🎬

全てシンプルだけど面白い👍
藤本タツキってバッドエンドを
ハッピーエンドのように描く
天才だと思う。

『予言のナユタ』
この物語の発想からチェンソーマンが生まれたのかな?
…と思える物語と世界観。
ナユタの目玉はマキマやん🎯

『妹の姉』
これはルックバックの原点か?

いや〜いいもの観ました✨
kuu
3.8
『藤本タツキ 17-26 Part-2』
製作年 2025年。上映時間 76分。
映倫区分 PG12 製作国 日本

「チェンソーマン」「ルックバック」の人気漫画家・藤本タツキの初期短編集をアニメ化した「藤本タツキ 17-26」。全8作品の短編からなる同作を、4作品ずつに分けた2部構成のパート2。
※アマプラで全話観たのですが、劇場版のように4話まで観て感想文を書くことにしました。
映画館では観てませんので違いがあっても悪しからず🙇。

Part-1が正気って名の仮面を剥ぎ取るムキ出しの咆哮やったとするなら、このPart-2は、そのムキ出しになった傷口に、藤本タツキちゅう表現者が自らの血を直接注ぎ込んできたような感覚に陥る後半。
もはやこれは物語の形をした暴動。
ここでは洗練という名の逃げは一切排除され、より深淵で、より私的な感情の地獄へと引きずり込まれた。
​今作品の白眉は、映像がもはや漫画のトレースであることを止め、アニメーション独自の文法でタツキ的違和感を完全に再構築(リビルド)している点にあるんちゃうかな。
キャスト陣の、あえて抑揚をバグらせたようなフラットな発声が、突如として訪れる暴力的な展開や、宇宙規模の静寂と見事なコントラストを描き出していた。
彼らは単にキャラを演じているのではなく、作者の脳内に住み着く得体の知れない隣人」を降霊(チャネリング)させているかのようでした。

第一話目。(アマプラ第五話目)
ありふれた純愛ちゅう型に、今作品を当てはめてしまわないとこが巧い。
ここで描かれるんは、愛って名の境界線が溶けていく時間。
​種族が違うから食べられる側やったという痛々しい過去を、夜の海辺で淡々と分かち合う二人の距離感が、どうしようもなく愛おしい。
連弾の調べと共に、食べる側と食べられる側が、お互いの存在を根っこから奪い合うような深い繋がり。
生と死の衝動が、もっとも美しい形で結ばれ、ここでは食べることと愛することが混じり愛(合い)響き合ってた。
​相手を自分の一部にしたいという切実な願いが、ピアノの旋律に乗せて語られるとき、我々はそこに歪な、けれど抗いようのない救いを見つけちまう。
​ラストの連弾シーンは善かった。
鍵盤の上で指がそっと触れ合う瞬間、世界中のノイズが消えて、二人だけの静かな宇宙が生まれる。
種族も過去も全部ひっくるめて音楽だから、違うのと肯定しちゃうあの潔さ。
言葉で会話するより、隣で同じ音を鳴らすほうが、よっぽど深く繋がれる。
​ピアノの音が止まった後の、単なる「情緒」なんて言葉では追いつかない静寂。
ただ肩を並べて海を見つめる二人の背中に、明日をちょっとだけ穏やかに生きれるよな気がしたかな。


​第二話目。(アマプラ第六話目)
『目が覚めたら女の子になっていた病』
今作品は、タイトル通りアイデンティティという名の牢獄をハックする、極めて実存主義的なパンクロックかな小難しく書くと。
昨日までの自分というOSを強制終了され、見知らぬ肉体という新ハードに放り込まれたとき、人は何を拠り所にするんか。
タツキはこの絶望的なシステムエラーを、どこか解放的なプロセスとして描き出してた。
​平成を彩った楽曲やおもちゃ、ポップな色使いに包まれているけど、そこで叫ばれているんは、自分を定義することに詰んだ現代人へのデトックス。
コミカルな皮膜を一枚めくれば、そこには剥き出しの性のバグが転がってる。
​トシヒデが女の子になった。
それは単なる身体の変化以上の、精神的な地殻変動って云える。
彼がアキラに惹かれたのは、ホルモンの悪戯か、それとも元々あった男らしさへの憧憬が、性別の壁が崩れたことで溢れ出したのか。
なんか思い出しただけで笑える。
あるいはアキラの方も、トシヒデが女になったから助けたのか。
​クラスメイトたちがセックスを連呼し、恋人のリエがその行為でトシヒデを繋ぎ止めようとする必死さ。
思春期の性欲大爆発という単純な言葉で片付けるには、あまりに暴力的で、それゆえに性ちゅうモンの正体の掴めなさが浮き彫りになる。
​我々って便宜上、性をふたつに区分して日常生活に馴染ませているけど、ホンマはそれ自体がものすごく無茶なことなのかもしれへん。
せやからこそラスト、アキラがトシヒデに男か女かの二択を突きつけたとき、一瞬すっとした。
でも同時に女ならそこで泣いてみろと云い放つ彼もまた、何かの呪縛の中にいる。
それがトシヒデの背中を押すためのあえて」の芝居やとしても、その不器用さがまた、この世界のままならなさを象徴しているようで、余計に胸をざわつかせる。
​社会が求める役割って名のコスプレを脱ぎ捨てた後に残る、正体不明の生命体。
それをどう呼べばいいんか分からないまま、我々はまた、バグった現実を歩き出すしかないんやろな。

​第三話目。(アマプラ第七話目)
『予言のナユタ』。
完結編の核となる今作品には、タツキ作品の真骨頂である狂信的な愛がこれでもかと結晶化しているって雑誌にあった。
​ケンジは、ナユタを放っておいて自分の人生を歩むことだってできたはず。
その方が間違いなく幸せやろうに、彼はそうはしなかった。
血縁やからか、兄妹だからか、それとも別の何かか。
そこには理屈を超えた血の締めのような執念を感じた。
タツキ作品に妹という存在が、ある種テンプレ的な記号として何度も現れるのも、この逃げ場のない関係性への固執があるからこそ、面白くもあり、恐ろしくもあるとこれまた雑誌にあった。
​結局、マクロな世界の崩壊よりもミクロな夕食の平穏を優先する。
その清々しいまでの倫理の放棄は、我々が社会生活で身につけた賢明な判断ちゅう名の臆病さを鮮やかに煽ってくる。
愛とは、世界を敵に回してでも目の前の個を全肯定する、孤独なフルコミットのことなんやろな。
​作品全体を流れるんは、どうあがいても誰かと私の間には、分かり合える・合えないの断絶が存在するという絶望。 
ナユタが残酷に動物の命を奪うとき、彼女が何を思っていたのか、本当のところは誰にも分からない。
ナユタは喋らないわけじゃない。
伝えたい感情はあるはずなのに、それが言葉にならない。
彼女が魔法を放つときに出現する無数の剣。
あれは、言葉にできない彼女の鬱屈や絶望、ありとあらゆる感情の形に見えて仕方なかった。
​予言に振り回される大人たちが思考停止している一方で、ケンジだけは常に考えている。
強いられているとは云え、彼は逃げずに考え続ける。
そして、他のエピソードでもそうやったけど、なぜ命を奪ってはいけないのかという問いに対して、明確な正解を言葉で語らない。
その余白が、逆に刺さったかな。
​たとえ分かり合えなくても、やみくもに否定されたら悲しいという感覚だけは共通しているはず。
そこにある他者への想像力こそが、バグった世界で自分たちだけの幸せを掴み取るための、唯一の武器なんやと思う。
観終わった後、自分の内側にある怪物とどう向き合うか、静かに問い詰められたような気がした。

第四話目。(アマプラ第八話目)
『妹の姉』
美大を目指す姉・光子が、自分を出し抜いてグランプリを獲った妹・杏子のヌードを全校生徒の前に晒し返すために、妹を脱がせて描きまくる。
序盤の展開はコミカルやけど、そこにあるは単なる姉妹愛なんて綺麗な言葉では片付けられない、ドロドロとした搾取と執着。
妹という存在を、自分の作品を完成させ、マウントを取り返すための素材として消費する残酷さ。
でも、その歪な関係の土台にあるのは、誰よりも認められたいという承認欲求の成れの果てなんやと思う。
​自分を追い抜いていった妹への嫉妬で、絵画の道を諦めかける光子の姿は、観ていてヒリヒリする。
この才能をめぐる確執と和解ちゅうテーマは、間違いなく名作『ルックバック』の原点(プロトタイプ)やろうな。
光子が目的のためには手段を選ばない狂気に走りかける瞬間は、タツキ作品に登場する支配的な女性像の原液を見ているようでゾクっとする。
​でも、物語が進むにつれて、杏子が描いた絵の真のテーマ――姉の背中を一生懸命に追いかけ続けてきた健気な想い――を知った光子が、姉らしさを取り戻していく姿が本当に素敵やった。
一生懸命な杏子もキュートで、結局、我々は何かを表現するという名目のもとに、身近な誰かの人生を切り売りして生きてるのかもしれんけど、そこには確かに愛も混ざり合っているんやと気づかされる。
​すべてを出し切った後のラスト、ラストのユーモラスな軽いオチには、正直には安心した。
誰もいない部屋に残されたキャンバスの白さが、虚脱感ではなく、新しい一歩のように見える。
誰かを傷つけ、自分を削り、そうしてまで生み出した作品にどんな意味があるのか。
その答えは、あの爽やかな和解の中にあった気がする。
​観終わった後、自分の大切な人をふと見つめたくなる。
自分がその人を、何かの素材としてだけ見ていないか、そしてその人の想いをちゃんと見ているかを確認するために。
そんな、静かな、でも確かな熱量を残す一本やったかな。


​鑑賞し終え、小生の目には藤本タツキが仕掛けた歪んだレンズがべったりと張り付いて、もう取れそうにない。
宇宙が滅びるような大惨事のすぐ横で、誰かが真剣な顔をしてアイスを食っている。
そんな、人生に潜むどうしようもないズレをまざまざと見せつけられた。
​ウィットに富んだ絶望と、生々しく血の匂いがするような愛。
それらがぐちゃぐちゃに混ざり合ったこの短編集は、小生の中にあった当たり前の感受性を一度バラバラに粉砕して、まったく別の形に作り変えてしまったかのようです(大袈裟やけど)。


解説ネットより抜粋。

藤本タツキが17歳から26歳までに描いた短編を集めた「藤本タツキ短編集 17-21」「藤本タツキ短編集 22-26」に収録されている8作品をアニメ化。「Part-2」は、海中のピアノが奏でる少年と人魚の恋物語「人魚ラプソディ」(監督:渡邉徹明/制作:100studio)、ジェンダーの枠を超えて“自分らしさ”を見つける姿を描く「目が覚めたら女の子になっていた病」(監督:寺澤和晃/制作:スタジオカフカ)、過酷な宿命を背負った兄妹の再生の物語「予言のナユタ」(監督:渡邉徹明/制作:100studio)、絵に懸ける姉妹の嫉妬や葛藤、成長を描く「妹の姉」(監督:本間修/制作:P.A.WORKS)の4作品で構成される。

「Part-1」(「庭には二羽ニワトリがいた。」「佐々木くんが銃弾止めた」「恋は盲目」「シカク」の4作品)も同日に劇場公開。Amazon Prime Videoでは、8作品をまとめた「藤本タツキ 17-26」として2025年11月8日から配信。

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