磔刑

戦争のはらわたの磔刑のレビュー・感想・評価

戦争のはらわた(1977年製作の映画)
4.2
「滅びゆくは男の世界」

今作が溢れ返る戦争映画、特に擦り倒された第二次世界大戦を題材にしながら他作と一線を画すのはドイツ軍の視点で描いている事に起因するだろう。そして連合軍側のドラマでは決して描けぬ“敗北”、避けられぬ“死”を濃密なドラマとして描いている点が一層本作が他の戦争映画との差別化を図れている点だろう。

終始ソビエト軍の猛攻を受ける事によって想起させられる敗戦、敗北、死。それらが血飛沫、粉塵入り混じる戦火の中駆け回るシュタイナー(ジェームズ・コバーン)の獅子奮迅の活躍で描かれている。それと対比して描かれるのがプロイセン貴族であるシュトランスキー(マクシミリアン・シェル)の目線で描かれる貴族の没落だ。物語が進むにつれ、鉄十字勲章に象徴される貴族階級の愚かな幻想、現実逃避とも取れる愚策が凄惨で避けられぬ現実(死)に侵食される様子でドイツ軍の敗北を描いている。作中に漂う退廃的な雰囲気はヴィスコンティ監督作のような趣きがある。

戦場に生き、英雄と呼ばれるシュタイナーは戦争の化身そのものであり、同時に戦争とは決して切り離せない死を内在している。終盤にシュトランスキーがシュタイナーの帰還を阻止するのは自身の保身だけではなく、自らの元に死を持ち帰る事を拒否しての行動だ。しかし、結局はドイツ軍の敗戦と同じく死は避ける事はできず、シュトランスキーの元にシュタイナーは帰って来る事となる。
だが双方の喉元まで死が迫ったからこそ貴族階級のシュトランスキー、一兵卒のシュタイナーとの隔たりが無くなり、対等な立場になったとは皮肉な話である。

戦火で花開くペキンパー監督特有のバイオレンス描写に目を奪われがちだがその猛進するかの様な場面とは対照的な時停滞し、時が止まった様な場面が特徴的だ。特にシュタイナーの病院での幻想的な視覚効果は現代で言うところのPTSDであり、監督の先見性が垣間見える。病院で荒ぶるシュタイナーの奇行は単に戦場でのトラウマだけが原因ではなく、戦場を離れた平穏な暮らしへの不安、戦場では英雄と呼ばれた自身のアイデンティティの喪失故の行動だ。その倫理の箍が外れた世界でしか生きられない者の悲哀はスコセッシ監督の『タクシードライバー』のトラヴィスの姿を想起させる。

生まれ持っての貴族ゆえ不遜で尊大なシュトランスキー。戦場でしか生きられぬ無骨で昔気質なシュタイナー。どちらも前時代を象徴する人物であり、彼らの死を持って一つの時代の終焉を描いた現代でも色褪せない一作である。
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