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砂の女のRのレビュー・感想・評価

砂の女(1964年製作の映画)
5.0
Super長々と書いてもーた笑 すんません。この映画、10代の頃にはじめて見て、こんな映像的にもサウンド的にもアヴァンギャルドで面白い映画があるのかと、度肝を抜かれた。まず、まるで意志があるようにしか見えない砂の映像のインパクト! 砂ってこんな恐ろしく、魔物みたいに見えるもんなんや、と感動。それ以外にも不安を煽るショットが続々続出。どのショットもほんとにすごくてひたすら釘づけに。そして、音響。全編にわたって心をゾワゾワさせる別世界感は、確実に武満徹の前衛的な音響による。こんなサウンドが他の映画で聞かれることはまずない。あとは、エロス。人間ふたりきりで汗と砂にまみれて、素肌をさらけ出し、その上アルコールが加わって、肌の接触が生じたら、そりゃはぁはぁ言い始めるわな。とか、もろもろ、すげーーーと感じながら、その後も数回見た。けど、今回ほど心の底からすごい!と感じたことはなかった。多分この映画の真価は、学生時代とかに解るものではない。ストーリーは、休暇を利用して砂漠地域に珍しい虫を見つけに昆虫採集に出かけた岡田英次が、日が暮れ交通機関もないということで、その地域の民家に一泊させてもらうとこから始まる。そこでは、砂漠のそこここに大きな穴が掘ってあり、そのなかに家が建ててある。住民たちはみな、常に砂かきをして家を守りながら暮らしているらしい。縄梯子で穴の底まで降りて、そんな家のひとつに泊めてもらうんやけど、岸田今日子がひとりで暮らしているのです。この時点でコワイ!笑 ところが、若き日の彼女は不思議な色気を放っていて、はじめて見たときは、えっ、これがあの魔女の婆さんみたいな岸田今日子⁈ってビックリしたよね。で、一泊だけのはずが、家を維持するための砂かき要員として男手が必要なため、縄梯子を取り上げられて、岡田英次はそこで虜にされてしまうのだ。罠だったんだ! で、その後、何とかしてそこから抜け出そうとする男の試みが描かれ、最終的に、ギョッと肝の冷えるような衝撃の結末を迎える。学生の頃は、もうひとつその因果関係がピンと来なかったのだけど、いまやもうすげーよく解るね。ちょっとここからネタバレになってるかもしれません。本作では砂漠全体が人生のメタファーになってるんだな、と今回はじめて気づいた。もう少し明確に言うと、人生の意味を究極まで求めなかった人にとっての人生、と言えるかな。要は、彼らにとって人生とは、意味のわからない、究極的には不毛な時空間なのです。そして、穴の中の家と砂かき労働は、まさに男にとっての家庭と、サラリーマンにとっての仕事そのものじゃないですか。東京の存在はある意味、そのことから目を逸らす刺激への幻想とも考えられるでしょう。こんな無意味な砂かきの要員として、こんなところで暮らしたくない!と願う男が、では外の世界との違いは何なのだろうか、と考えると、特にないのです。はじめはあるような感じがする。たとえば、行動の自由だとか、より多くの刺激だとか。でもそれって、本当にそうなんだろうか。行動の自由を一般人は本当に持っていますか。他人の目や評価を気にしないで、自分の意のままに生きていると、彼らは胸をはって言えますか。そして、刺激と、刺激への渇望、これはどれだけ満たしても満たしても、際限がない、ひたすら、もっと、もっと、もっとほしいってなるし、その為に自分の魂を売る人も無数にいる。多少範囲の差はあれ、突き詰めるとおんなじ。ほとんどの人類が、同じなんすよ、結局、この男と。でも待て、と、子どもという存在があるじゃないか、子どもを産み育てるという行為に意味があるじゃないか、と主張する人もいるかもしれない。でもそれすら本作は徹底的に否定する。考えてみよと、じゃあ子どもがこの穴で暮らしたとしたらどうなるか。99.99999…%はそこで何も考えず、同じ暮らしを繰り返すだけになるでしょう。ひょっとすると、若い間にとんでもない抵抗を起こして、ぱっと見、その瞬間は、変化が起こってるように感じられることもあるかもしれない。が、そういった人々の行く末を見てみよ。歴史を見てみよ。 結局おなじ、元の木阿弥になってるじゃないか。人間に真の自由はなく、生きることの意味はいまだにわからない。人類のほとんどは、砂の男であり、砂の女なのだ。だから、何やかや自己正当化しながら、永遠にその位置にとどまり続ける。見ないようにする。考えないようにする。そして、そんな自分が生きてることを証明してくれるものは、悲しいかな、証明書以外にあり得ない。しかし、ここからはちょっと映画からは離れるが、そうでない人たちも、一定存在してきたというのは非常に興味深い。人生の意味をとことんまで追究することによって、あらゆるモヤモヤを払拭し、真の自由を手に入れ、大いなる歓喜と生気に満ちた人生を謳歌した人たち、いままさにそうして生きている人たち。この人たちと、一般人との根本的な違いは一体何なのだろうか。これは考えてみるとめちゃめちゃ為になるのではないでしょうか。これこそ哲学のはじまりだよね。けど、個人的には、実は答えははじめから常に出ていて、みんな本当はわかってると思うのです。忘れてるだけ。だから、思い出す、ということはめちゃめちゃ大事だと思う。そして、仮に思い出せたとしても、今度は踏み出す勇気がない。だから、勇気とは人生で最も大事だと思う。さらに、たとえ踏み出すことが出来たとしても、貫くということはもっと難しい。だから、執着心というのは、人生で最高に大事だと思うのです。思い出す、踏み出す、貫く。一体これをどうやって実現するのか、ここに人類という存在の最大の鍵がある。その鍵が目前に現れたとき、それが鍵であると理解するためにこそ、日々の勉強や向上のための努力があるのではなかろうか。あとは運だね。…といろいろ見ながら考えたこと書いたけど、小難しい話はこの辺にして、寝ます。面白すぎました、砂の女、ちょーオススメ! ちなみに本作で語られる東京での生活のイタリアバージョンが、アントニオーニの太陽はひとりぼっちではないかと、ふと見ながら思いましたので、またそちらで長々と書くかもしれませぬ笑 監督勅使河原&脚本安部公房、このコンビ、マジ奇跡! ヤバすぎ! 他のも見直さねば!
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