平野レミゼラブル

狼と豚と人間の平野レミゼラブルのレビュー・感想・評価

狼と豚と人間(1964年製作の映画)
4.8
【元祖レザボア・ドッグス!!お前は豚か!?人間か!?暴の嵐か狼か!?】
コイツァ、スゲェ作品だ……!!
既に“終わってしまった”犯罪集団の面々が集い、一連の責任を擦り付け合い、熾烈な拷問も混じえながら腹の探り合いが展開されていく密室劇というとタランティーノ監督のデビュー作『レザボア・ドッグス』を連想させますが、本邦においても半世紀近く前にこんなに面白い『レザボア・ドッグス』が製作されていたとは……!!
ヤクザから奪った麻薬と大金の行方を巡って、隠れ場である倉庫に集った兄弟とその仲間達が争い探り脅し合う密室劇という時点で正に『レザボア・ドッグス』そのもの!!タラちゃんが『レザボア・ドッグス』の元ネタとして本作を挙げていた記憶はありませんが、それでもフカキン作品にオマージュを捧げまくっていることは公言しているため、『狼と豚と人間』を下敷きにして撮っていたんじゃないかと私は睨んでいます。
しかし、どちらにしろその完成度の高さは後世にも通じるというか、むしろ後進たる『レザボア・ドッグス』と並べても何ら遜色ないレベルです。60年代の白黒映画としてはかなり凄惨な拷問シーンも迫力がありますし、何よりパワーバランスがコロコロ変わっていく様子を緻密かつ繊細に描写していく脚本が恐るべき完成度。単にスリリングなだけでなく、三兄弟の間での格差や積りに積もった鬱屈なども盛り込んで描き切るんだから凄い。

話の主軸になるのは、悪臭立ち込める貧民窟の生まれである市郎、次郎、三郎の三兄弟。兄2人はしみったれた汚れと貧しさが染みついた故郷を嫌い、早々に街へと出てしまいますが、残された末っ子三郎は年老いて呆けた母親の糞尿に塗れながらの介護を余儀なくされる。そこに兄たちへの確執があります。
兄2人は2人でその進路には格差があり、市郎は暴力団「岩崎組」に入り、そこで順調に出世を重ねて店をも任される幹部に登り詰めます。一方の次郎はと言うと下手を打って前科者となり、いまや金持ちの愛人のヒモに甘んじている。市郎は下手すると自分の地位の傷になりかねない次郎を疎んじますし、次郎も自分を助けようともしない市郎に恨みと嫉妬を滾らせている。
これら三兄弟それぞれが互いに抱く鬱憤混じりの関係性を、静止画とナレーションを使ったOPで端的に示していくんだからこの時点でスマートです。

キャストもかなり豪華でして、まず長兄市郎に三國連太郎というこの上ないビッグネーム!!生まれが卑しくても、そこからのし上がってきた流石の貫禄とそれでも時折隠し切れない品の無さを巧く調和させています。
三男の三郎は北大路欣也。後の『仁義なき戦い』シリーズでは2作目の山中、最終作の松村共にどこか生真面目な部分がある人物を演じていましたが、本作においても本当はドブ溜めから抜け出したいけど母親の為に残り続けた生真面目さがピッタリ。それでも若き日のキタキンはエネルギッシュで、愚連隊仲間と一緒に青春している部分なんかはイキイキとしていて良いです。
そして、今回の騒動を巻き起こす話の中心となる次兄が意外なことに高倉健。そりゃ健さんは数多くのアウトローを演じられていますが、あくまで義理と人情を大事にする不器用な「漢」とか「任侠」の類であり、本作のような徹頭徹尾ブチギレている「ヤクザ」や「チンピラ」ってのは相当に珍しいんじゃないでしょうか?ですが、その不器用さを生き方ではなく立ち回りに変換した刹那的な三下悪党も中々ハマっており、かなりの恐さと迫力があります。

本作における強盗事件は次郎が企てたもの。愛人との海外逃亡資金を手に入れるために彼は兄の組の取引情報を盗み見て、仲間の水原(江原真二郎)と計画を立てます。
流石に相手はヤクザだけあって守りが厳重と指摘された次郎は、三郎率いる愚連隊を利用することを提案。表向きはワリの良いバイトとしながらも、その実はした金を渡して使い走りにしてしまおうというわけです。三郎は兄への不信感もあって断りますが、仲間達は口八丁な次郎に乗せられてしまったため、渋々実行することに。

見事現金を強奪して約束の故郷の倉庫に一足先についた三郎ですが、明らかに自分達への駄賃に釣り合わぬ金額が詰まったバッグを見て次郎への不信感を強めます。そして、倉庫から立ち去り現金をどこぞへと隠してしまう。
遅れて愚連隊と次郎一行も倉庫に辿り着きますが、先に着いている筈の三郎と現金がどこにもない。最初は愚連隊にも甘い顔をしていた次郎達ですが、三郎の持ち逃げによって本性を現して愚連隊達を脅しつけます。
そんな最中に戻ってきた三郎は「現金の隠し場所は自分しか知らない」ことを武器に巧く立ち回り、報酬を吊り上げる為の駆け引きを開始するという。

ここからはほとんど倉庫内のみで物語が進行しますが(少なくとも愚連隊一行はもう倉庫周辺以外を出歩くことはない)、この時点で話の筋は完璧に出来上がっているので滅茶苦茶面白いです。
三郎が握った情報イニシアチブのみならず、愚連隊と次郎一行の人数のバランスや、拳銃の行方なども考え尽くされており、ちょっとした出来事一つで形勢が簡単に逆転していく構図が白眉。狭い空間だからこそ、すぐに状況が一変する目まぐるしさや、手数の少なさに追い詰められてしまう緊迫感に満ち溢れています。

中盤以降は倉庫にある万力を使っての指絞め拷問によって、愚連隊一行の身体と精神を積極的に折りにくる次郎の残虐さが際立ち、見応えも抜群。
自分が痛めつけられるよりも仲間が痛めつけられる方が堪える三郎の人間性や、それを巧みに利用する次郎の酷薄さ、さらには愚連隊内部で拷問逃れの為に出鱈目を抜かすヤツが現れてのいざこざなど、限定された人数で展開される複雑な人間ドラマも魅力の一つ。
倉庫内に入ってからは、かなりキツイ場面が続きますが、それ以前の愚連隊メンバーは皆で歌って踊ってのミュージカル調で楽しく進んだりするので、場面場面のメリハリもしっかりしています。まあ、この場合は前半と後半の落差で「うげェ…」ってなるところでもあるんだけれど。

後半になると自分の弟達が組相手の強盗に関わっていると知った市郎が、尻拭いの為に倉庫にやってくるさらに強大なパワーバランスの逆転もあるんですが、ここでタイトルの『狼と豚と人間』がそれぞれ誰に当てはまるかが焦点になってくる。
普通に考えるならば、(裏社会だけど)真っ当に仕事をして生きている市郎が「人間」、人を喰らいながら生きている次郎が「狼」、そして“豚小屋”と形容されるスラムにしがみつくしかない三郎が「豚」といった感じですが、目まぐるしく変わる物語の勢力図はこの『狼と豚と人間』の役割さえコロコロ変えていく。
どんなに絶望的で悲惨な状況であっても、仲間のことを想い、共に戦い続けて貧民窟から脱却しようとする三郎の人間性が黄金の輝きを魅せるところで、またしても逆転が起こるのです。兄弟同士の足の引っ張り合いが、思わぬ再生の糸口になったりする展開もグッとくるし巧い。

最終的な狼と豚と人間がそれぞれ誰なのかは、是非実際に観て確かめてもらいたいのですが、個人的見解を申すならば「誰もが狼で豚で人間である」というのが結論ではないでしょうか。
どのような人物であれ、その立場如何によっては他者に牙剥く狼の攻撃性も、必死にしがみつく豚のような醜さも見せることになる。そして、簡単にそこにいる人間の立場が変わってしまう本作においては、誰もがこの両面を見せることになるのです。
狼でも豚でもない人間であり続けるには、そんな極限状態で豚にも狼にも振り切らない精神力が重要になってきます。本作でキャラクターが一番光輝くのは、その人が「人間」でいる時であって、だからこそ我々は常に「狼」にも「豚」にもならないよう自省し続けなければならないのです。
そのため、この三兄弟がそれぞれどの立場に落ち着くかに帰結するラストシーンが特によく練られていて秀逸なのです。

フカキン演出による過剰とも言えるバイオレンスや、相変わらず人間心理の闇まで突いたキレキレすぎる佐藤純彌との共同脚本のエネルギッシュかつ緻密な構成の妙が爆裂しており、ただただあまりの完成度に嘆息してしまう作品となっています。
本当あらゆる部分が極まっているので、是非とも一度この人間の証明をお確かめあれ…!

超絶オススメ!!!!