平野レミゼラブル

ウォータームーンの平野レミゼラブルのレビュー・感想・評価

ウォータームーン(1989年製作の映画)
1.4
【水の中の月、長渕星人の思考】
愛読している邦画プレゼン漫画『邦キチ!映子さん』でこの度、コミック書下ろし回の原案を読者から募集するという「邦キチ-1グランプリ」が開催されました。現職の漫画家や小説家も参加し、応募応募総数300を超える大盛況っぷりの末、現在最終選考の10作まで絞られました。
僕も『KARATE KILL/カラテ・キル』や『鬼手』など手持ち最強の弾を応募しましたが敢え無く落選。しかしまあ、最終選考を見て自然と納得しましたよ……あまりに投稿作のレベルが高すぎる……!!

https://twitter.com/hattorixxx/status/1687790976025436160

全部観たことなかったのに加えて、そもそも存在知ってた映画がコナンと戦隊モノと最近上映してた『それいけ!ゲートボールさくら組』しかねェぞ!!
第2回があるとして、まだ次弾はたくさん残っているとはいえ、威力不足だということが明白になってしまったな……というか応募作、選外(というかレギュレーション違反作品)の中にどうやっても日本で観ることができない作品が何作もあったけど、みんなどうやって観てるの!?俺はどこでシルバーバレットを探せばいいの!?

で、その中で早いうちから「ちょっとコイツに勝てる自信がないぞ……」というオーラを放っており、そして案の定最終選考にも残っていた作品こそ本作『ウォータームーン』となります。多分、順当に行けばこれが優勝間違いなしだと思う。それくらいにプレゼンも、内容も格が違ったもの……

ぶっちゃけ、あまりに元のときめきメモリアルさんのレビュー内容が本当に秀逸で、僕の感想自体はそれの後追いというか、そこに書き連ねてあったヤベェー部分の確認作業なんですが、まあ後学のために書いておきます。
俺はこれをいずれ超えないといけないのか……


本作は端的に言えば長渕剛主演映画です。僕は音楽に疎く、また世代でもないため、長渕剛のことは全く知らない(当然本作のことも全く知らなかった)んですが、長渕初主演ドラマ『とんぼ』がヒットを飛ばし、その流れを汲んだ映画『オルゴール』の興収も好調だったため1989年に製作された作品とのことです。
謂わば長渕ブーム最盛期に作られた一種のアイドル映画ということで、その時点でファン以外は楽しめるのか微妙じゃないかって空気はあるっちゃあります。

まあ、本作は長渕の熱狂的な信奉者でも楽しめるのか微妙なくらいに破綻した怪作なんですけど……

製作背景を見ればわかるように、企画自体が長渕剛に依存しているため、長渕の意見が尊重されるのは極々自然のことのように思います。
ただ、当時の話を聞く限り、長渕の自己裁量部分がかなり大きかったようで、彼のワンマンによって現場が滅茶苦茶に荒らされた様子が窺える。
映画エンドロールのクレジットには『十三人の刺客』の名匠・工藤栄一の名前のみ表記されてますが、どうにも途中降板してそれ以降は長渕が完全に仕切っていたとか。というより、降板の理由が長渕が口出しをしまくり、脚本も大幅に書き直したからという話なんで、完全に長渕に最初から最後まで乗っ取られています。
要は長渕による独裁体制であり、スタッフクレジットに関しては正しくは「監督・脚本・主演:長渕剛」でしょう。
まあそれで面白けりゃまだしも、出来上がった内容は「意味不明」の一言なんだよね……

そもそも長渕演じる僧侶の竜雲が、実は宇宙人だったという結構トンデモなプロットではあるんですが、彼を捕獲した政府が年に1度の健康診断の時を除いて寺に預けている意味が全くわからない時点で破綻しています。
竜雲こと長渕星人は自力で血液が作れないものの、奇跡的に人間と血液の規格は一致するため、年1で血液を入れ替えないと死ぬという設定があるんですが、だったら猶更寺に預けるより前に、政府直属の研究機関で管理した方が良いと思うんですが、その疑問について本作は最後まで一切合理的な説明をしてくれないのです。

説明の代わりとばかりに垂れ流されるのが長渕流の人生訓めいたナニカなんですが、長渕流の美学はドブ底で煌めくものらしく、最初から最後まで「素行不良」と「暴力」の限りを尽くした上で語られるため説得力はまずありません。
なんせ本作の始まりは竜雲が寺の境内で胡坐掻きながらショートホープをスパスパ吸っている生臭っぷりからですからね。
ワンマン体制といい、彼が彼だけに伝わる言葉で彼だけの世界を創り上げて酔っているだけなのです。

そんな長渕ワールドを再現するためか、映画内の治安は鬼のように悪いです。
竜雲が住む寺にはヤクザ上がりの僧侶が蔓延っており、OPからして掃除中に僧侶が明らかに蹴りを入れている映像が混ざっているなど、非常に暴力的です。
AV鑑賞しながらヤクザ坊主が下っ端坊主(当時新人の萩原聖人)をこき使い、執拗に苛めるシーンも流されますが、ますますもって政府はなんでこんなところに竜雲を放り込んだのでしょうか。

ただこの治安の悪さは長渕の暴力を魅せるための布石に過ぎません。
下っ端坊主を助けるために長渕キックによって豪快にヤクザ坊主をぶっ飛ばします。もう完全に長渕の英雄性を演出するために生えてきた存在です。
しかも、長渕がぶっ飛ばす悪党はどんどん過激化していき、夜中の公園でサバゲ―を始め、一般カップルを平然と狙ってモデルガンをブッ放す輩共も何の脈絡もなく湧いてきます。
日本の治安はどうなってるんだ。

なお、サバゲーが始まる際、竜雲は公園で寝ていたのですが、銃声を聞きつけるや否や跳ね起きてベンチの後ろにサッと隠れるなど、挙動がベトナム帰還兵のそれでちょっと笑う。
あまりの治安の悪さに竜雲も適応してしまったのでしょう。
その後、サバゲ―輩によって腹を深々と刺されて旅館で目覚めた時も、介抱していた松坂慶子にいきなり殴りかかっていたので、もしかしたら長渕星人は暴力でしか生きられない哀しい生き物なのかもしれません。まあ、そんな悲哀は全く描かれないんですが。
というか、血液が作れない設定なのに大量出血してたら死ぬだろ、普通。

しかし、竜雲はそれでも平然と街を普通に歩き回るのである。もうこの時点で矛盾点が飽和しているのですが、この旅館編からはさらに輪を掛けて意味不明な展開になっていくので序の口に過ぎないのです。
もう、街中で再会した萩原聖人とパチンコして馬券で17万円当てたり、何故か居場所を突き止めた長渕星人捕獲隊から逃がすために松坂慶子が旅館に放火する展開とか、意味を考えること自体が無粋に思えてきますよ。

後半はそんな放火犯の松坂慶子との逃避行がメインとなるのですが『しょっぱい三日月の夜』を流しながら二人でラブラブする様子を垂れ流して台詞も字幕で済ますなど、最早映画としての体裁も成さないMVもどきと化しています。
この後半戦はちょうど実写『デビルマン』の「魔の1時間」と同じで、長渕バイオレンスなどのネタ部分が極端に減るため単純にダルいです。
あと作中で繰り返し呟かれるフレーズ「生きて、生きて、生きまくれ」は『Captain of the Ship』のものであって、本作主題歌である『しょっぱい三日月の夜』のものじゃないのは一体どういうワケなんだ……

兎にも角にも逃避行編は、盲目の松坂慶子とのラブロマンスが肝となるんですが、いかんせんこの松坂慶子との関係が急に出来た設定なので感情移入することは難しい。
元々「公園で刺される→息も絶え絶えながら教会に辿り着く→旅館で目覚める」といったようにシーンの繋ぎが奇妙な映画ではありましたが、廃寺での焼き芋後の展開はシーンが落丁しているとしか思えないような急転換であり、ただでさえわからない物語が余計に繋がらなくなってきます。

これも聞いた話ですが、どうにも長渕の独断で松坂慶子とのシーンを大幅カットしたとのことですので、繋がりが悪いのは明らかにそれが原因でしょう。
松坂慶子も長渕独裁体制にはだいぶ冷ややかで、降板しかけていたそうなので心労は察するに余りあります。
むしろ彼女は盲目なのに旅館2階への配膳を任されるという、設定を忘れているかのような脚本の指示に必死に従いながら、極力違和感を減らすように演技している様子が伝わってくるため、ひたすらに可哀想としか言いようがない。

現実では冷戦状態ながらも、作中ではなんやかんや松坂慶子との仲を深めた長渕星人ですが、遂に力尽きて倒れ捕獲されます。
そのまま「パワーがゼロに近い」と診断され解剖されかかりますが、突如目を覚まし「俺の目を彼女に移植しろ!」と暴れ回ります。さっきパワーがゼロに近いって言っただろうが!!

医者から「宇宙人の目を人間に移植できるわけないだろ!」と割と真っ当に反論されますが、長渕星人は現実同様に王様気質のため聞く耳を持たず、研究所内で虐殺を繰り返します。
そして、何故か現れた老師に対しても持論を一方的に吠え立てるため、最後の最後まで自分勝手である。
物語の積み重ねは当然ないので内容は素通りするし、そもそも元々悪い長渕の活舌がシャウトによって悪化するため、何をがなり立てているのかもよくわからないという。凄い……

オマケに一度老師に抱きついて落ち着いたと思ったら、また構わずがなりだすのでしつこいです。
頑張って聞き取った内容も「どうしてデカいツラの東京は俺を受け入れてくれないんですか!!」と宇宙人の孤独とかですらなく、上京失敗した田舎者の泣き言なんで何を言ってるんだお前は感も強い。
あと「俺は何も悪いことしてないのに…」じゃねーだろうよォ!!かなりお前、素行不良だったろうが!!
その後、老師と一緒に「一殺多生!!」と叫び出すのはシンプルにヤベェーです。
嵐の中で何事か絶叫したり、湖畔で何か奇跡が起きて松坂慶子の目も見えるようになったっぽいですが、最早全てがどうでもいいです。

ラストは竜雲をずっと監視していたくせに「もう長くないから」で確保をスルーしていた意味不明さの極みだった長渕星人捕獲班のチーフと対峙。
これまでスルーしてたのに、何か急に銃口を向けていたりと支離滅裂さが凄いですが、この程度のツッコミは今更すぎます。そもそも長渕星人はなんでまだ生きてるんだよ。

銃を向けられても無言で棒立ちする長渕星人。
するとそのまま口笛を吹きだしたと思うと、チーフは苦しみだし、やがて銃を自分の頭に向けだす。
しかし、口笛をやめると元に戻り、茫然とするチーフを尻目に長渕星人は去っていくのです。


なんで急に催眠術使いだしたの?????

これがエピローグ部分なんですが、10分弱くらいある尺のほとんどを長渕の口笛だけで進ませており、かつ急に生えてきた催眠術を使うだけで終わるため、意味不明さがここに際立ちます。
いや何回意味不明って言うんだって話ですが、意味不明以外に呼称のしようがないでしょうが!!何をやりたかったんだよ、長渕星人!!!!

あまりに意味不明すぎて、こうして最後まであらまし書いても現実とは思えないという意味では『幻の湖』に匹敵する大怪作と言えるでしょう。
ただ、これまで黒澤明監督作品など多くの名作を手掛けた橋本忍に「何かあったんだろうな…」とそこに至る理由を思わず考えてしまうそちらと違って、こちらに関しては理由は明白です。「長渕星人の暴走」です。
長渕剛という男が本当に宇宙人のように、我々地球人には理解の及ばない超常の存在だったと仮定でき、そんな人物が独裁体制を敷いたとなればこの惨憺たる出来も納得はできるでしょう。
ただ、こうも問題点が明白で、かつ監督・脚本・松坂慶子全てのキャリアに汚点をつけたという意味では心証は限りなく悪いです。

正直なところ、上記の実際に迷惑を蒙った人のことを思うと「長渕本当お前……」としか言いようがなく、邦キチ―1グランプリに投稿されたプレゼンの内容を確認する以上の意味は見出せない映画だったかな……
もはや水の中の月を掬えないように、長渕星人の思考回路は我々に理解することは不可能と諦めて忘れるしかないのでしょうか……